探偵物語 1

探偵日記 7月2日水曜日 晴れ

昨日は夕方からの突然の雨にも遭わず、今朝も快適な目覚めだった。4時半、僕の部屋の向こうで鼻を鳴らしじれているタイちゃんの気配がする。36分、飛び跳ねるように外に走り出す彼に引きずられるように散歩に出る。道のあちこちに匂いがあるのだろうジグザグに進む。まだ少し肌寒い時間帯で、犬も気持ちが良いんだろうか1時間15分歩いて帰宅。2時間二度寝して朝食を済ませて事務所へ。
昨夜は久しぶりに阿佐ヶ谷の「旬菜成海」で夕ご飯を食べる。共通のゴルフ仲間の青年に恋人が出来た話で盛り上がる。阿佐ヶ谷の商店街の一つ「スターロード」の関係者は独身が多い。僕なんか羨ましくてしょうがない。1日の仕事を終えたら後は自由時間だ。何処で飲もうと何をしようとお構いなし。朝タイちゃんと散歩してると何人かに遭遇する。或る日のこと、駅前のクリニックで検査をするため朝食前に行って、採血を済ませて家に戻る途中妻の飲み仲間に会った。何ら疚しいことのない僕は(お早うございます)と言って別れたが、彼のほうは少々違ったらしく、あっという間に「福田パパが朝帰りをした」噂が流布された。勿論妻は(そんなことではない)と承知しているので笑っていたが、日頃の品行が災いして暫くは語り継がれてしまった。それにしても、阿佐ヶ谷の夫婦は皆非常に仲が良い。


探偵物語 1

ここ20年余りで、良くも悪くも探偵の世界も大きく様変わりした。何時も言うようだが、僕が探偵になったのは昭和43年、帝國興信所(現在の帝國データバンク)に勤務していた叔父の感化を受けてのことである。最初は、その叔父が出した個人事務所の電話当番に借り出されたのだが、1年後には神田の「東京探偵事務所」の、所員第一号として採用され、探偵の第一歩を踏み出した。面接の際に提出した履歴書には叔父の事務所で電話番をしたことは書かなかった。別に隠したわけではなく、書くほどの経験とは思って居なかった。ところが、そこで読んだ調査員らの報告書がお大いに役立った。というのも、東京探偵事務所の所長は、いわゆる探偵事務所あがりで、興信所の「調査」を知らなかった。或る日、小さな会社の信用調査の依頼があって、特に、取締役の一人の住所が知りたい。というのが依頼人の目的だった。普通、株式会社の場合、7人の発起人が必要(当時)で、それらが、取締役に就任することが多かった。さらに、株券を発行しないまでも株主及び持ち株数を決める必要もある。しかし、第三者が手にする登記簿謄本には、代表取締役の住所の記載はあるが、その他の役員の住所は記載が無い。したがって、取締役の一人の住所を知りたい場合、面取り(何らかの方法でその人物の顔を確認し、退社時に尾行するしか方法がない。と、僕を採用した所長は思っていた。

(所長、設立申請書を見て来ます)僕が言うと、所長は、ん?と言って訝しがった。法人の場合、設立から5年以内であれば、設立した時の詳細が閲覧できる。(但し、その会社と何らかの関わりが有ればだが)司法書士、又は税理士、弁護士が代理人となって申請書類を作成し所轄の登記所がこれを保管している。僕は、(その会社と取引が有り、今後、訴訟に発展する可能性がある)と説明し、分厚い「設立申請書」を閲覧し、ついでに、記載されている当該役員の住所に赴き、確かに居住していること、その家族構成、不動産の登記を調べて夕方事務所に戻った。「良く分ったね」所長は、まだ24~5歳の新米にしては上出来だと褒めてくれたが、後で聞いたことだが、同時に少々警戒もしたそうだ。このように、当時は調査も安易に出来た良き時代であった。---------