探偵物語

探偵日記 7月3日木曜日晴れ

今朝は4時20分に起き、25分にタイちゃんを連れて外に出る。途中、いろんな犬と遭遇、今日はどういうわけか遠くの犬にも反応し、(遊ぼう、遊ぼう)と鳴いて行きたがる。犬にも体調の良し悪しがあって、今日は五感が研ぎ澄まされた日なのだろう。50分歩いて帰宅。朝食の後、ベッドでまどろんでいたらメールが入る。「10時に待っているけど、もしかしたら私の勘違いでしょうか」僕は飛び起きて電話をかける。確かに、最初の約束は木曜日か金曜日だった。僕が了承すると、次のメールで「では、8日の10時に」と決まり、ン?少し変だな。と思ったが、依頼人の指定なのでそのままにしていた。3と8。正解は、僕のほうで再度確認すべきだった。というわけで、時間を11時30分にしてもらい大急ぎで支度をして約束の場所へ。

探偵物語 2

多少なりとも興信所に関係し、内偵調査の心得のある僕も「探偵」の世界は新鮮で大層面白かった。昭和44年10月、独立開業したばかりのN所長が経営する「東京探偵事務所」の所員第一号となった僕は、係わる仕事が総て刺激的で毎日ワクワクしながらN所長についていった。3坪か4坪の事務所には、後で知ったが、N所長の前妻が電話番をして、調査は所長が担当、僕が小林少年よろしく、見習い探偵を務めた。(それにしてもこの事務所は何処から仕事を得ているんだろうか?)これが僕の素朴な疑問だった。叔父の勤務していた帝國興信所は、銀行や大企業が主なクライアントだったし、叔父の個人事務所は、叔父の戦友が当時勤務していた信用金庫絡みで案件を拾っていた。

ある時、(仕事ってどうして入ってくるんですか?)と聞いたら二人とも笑って教えてくれない。しつこく粘ってやっと聞き出したら「職業別電話帳」を見せられた。当時、あ、から始まる個人名の電話帳と、一冊の職業別と二つに分かれており、そこに各社が小さな広告を出していた。確か、東京探偵事務所も3分の1程度の大きさで掲載されている。はは~んこれを見て依頼人がやってくるのか。ということは、僕がどこかに事務所を開き、電話局に行って広告を出せば、僕の探偵事務所の誕生である。しかし、当時はそんな資金も無く「独立」はもっと先のことだと思っていた。ただ、実態を知った僕は職業別電話帳から、東京の探偵事務所の状況を把握できた。N所長が勤務していた、日本橋蛎殻町の「佐藤探偵局」所長は、佐藤のぶえさん。そのお嬢さんが経営していたJR渋谷駅前の「佐藤みどり探偵事務所」千駄ヶ谷の「帝國探偵社」(現在のテイタン)高田馬場の「婦人探偵社」銀座の「銀座探偵事務所」などなど、勿論、今とは比較にならないほど数は少ない。

たった3分の1ページの広告で事務所の経営が成り立つばかりでなく、N所長は豪邸を建て、他に、ゴルフの会員権や不動産も買い漁った。確かに儲かっていたようだった。数ヵ月後、僕の後輩が入社、それから2年も経たないうちに、調査員は10名を越え、月に50件以上の受件を得て、東京でも有数の探偵事務所に成長していた。一方、僕も昭和46年夏、神田駅前で独立、顧客の乏しい僕の事務所は、とりあえず東京探偵事務所の下請けで細々とスタートしたのである。---------------