探偵日記

探偵に記 1月29日木曜日 晴れ

昨夜は久しぶりに花の銀座で飲む。食事をして9時に店へ。しかしすぐに一杯になり10時半ごろ退散。タクシーで阿佐ヶ谷に戻る。翌朝の散歩を考え寄り道せずに帰宅。何となく面白くない人生。
今日も朝5時に起きて散歩に出る。11時、後楽園のドームホテルで依頼人と待ち合わせ、報告書を渡して残金の精算をして頂く。12時、事務所へ。グループ会社の責任者が2人来ていたので、みんなを連れて新宿三丁目の焼肉店「長春館」でカルビ定食を食べる。
ランチをしながらイスラムの話になる。誰かが、「後藤さんは極左の人だから日本政府も本気で救出しようとは思っていないようだ」と言う。僕はへ~と思ったが、いずれにしても自己責任だろうから本当に迷惑な話である。彼が仮に自分の息子だったら(何にもしないでほっておいてくれ)と言うだろう。危機管理の意識も希薄で、覚悟も無い若者が多い。あれもこれも総て戦後日教組主導で行われた教育が間違っているのだと思う。こんなことをいう僕は「極右」(笑)

新宿・犬鳴探偵事務所 4

 それから数日後、犬鳴は青森県に居た。特急で盛岡まで行き、レンタカーで十和田市に入る。目指すは、ソバージュのモーちゃんこと工藤沙織の実家である。マルヒのドクターが、看護婦工藤沙織の部屋に泊まって、朝出てくる所を数回捕捉し、将来訴訟になっても十分戦えるだけの証拠を押さえ、相手女性「工藤沙織」の身元調査はとうに終えていた。父親の工藤健二(51歳)は地元の役場に勤務する真面目な男のようだ。元々工藤家は農家で、この土地で代々農業を営む土着の家柄だった。したがって、健二も勤めの傍ら、休日や普通の日の早朝等に畑仕事も行っていた。家には、健二の実母と妻、やはり市役所に勤務する長男とその妻子、沙織の妹も居て、沙織と同じ看護婦をしており、現在は青森市内の病院に勤務しているが、通勤が大変なので寮生活をしていると言う。工藤夫婦には一男二女があり、長男は沙織の兄、青森で働く沙織の妹は二女である。

 犬鳴は工藤家に電話もせず突然訪問する形を取った。前もって知らせることで、沙織と連絡をとられたり、妙に構えられることを避けた。いきなりたずねて、とにかく平身低頭真心を持って謝罪しよう。と思っていた。事前の協議で、夫人は不承不承ながら犬鳴の方針を呑んだ。いっぽう、夫のマルヒはギョッとした顔をしたが、とりあえず堕胎してから考えればいいじゃあないか。と言う犬鳴の意見に従った。沙織に対する慰謝料は上限を一千万円と決めた。ただ、話の成り行きで金額の増減は犬鳴に任せてもらうことになった。必ず在宅しているだろう時間帯を想定して、午後6時、犬鳴の運転するレンタカーは工藤家の広い庭に停車した。

 十和田市の工藤家は、奥入瀬に近い純農村地帯にあって、めったに訪問者も無いのだろう、陽が西に傾きかけてきた頃、庭に車が入ってきたので家族全員といって良いほどの人達が飛び出してきた。犬鳴はその中の60絡みの男性(調査をして年齢も分っているのだが、どうしても老けて見える)に対し、(突然お伺いして大変申し訳ありません。訳があって、事前にご連絡をしませんでした。実は、東京にいらっしゃるお嬢さんの件で、折り入ってお願いがあって参りました。)という趣旨のことを丁寧に伝えた。ところが、ただの田舎の農夫と思っていた工藤沙織の父親は、勘が良いというか気が利くというか、犬鳴の、たったそれだけの言葉で訪問者の用件を察したらしく、「いいから、オメエ達は家さへえってろ。」と言って、犬鳴と二人きりになってくれた。(車の中で宜しいですか)と聞くと、構わないと言う。

 お嬢様は元気で働いていますよ。とか、東京の生活は何かと大変ですが、やっぱり若い頃は憧れるんでしょうかね~、僕なんか田舎者だからこういうところに来るとホッとします。等と当たり障りの無い会話をしながら彼を観察してみた。農家の長男として生まれ、おそらく何処にも出たことはないであろう。車で十分ぐらいのところにある役所に出て、休日は畑仕事に精を出す。ほとんどその繰り返しみたいな、決まりきった生活だが、何の疑問も感じず日々静かに生活している。他人を妬むことも謗ることもしない。律儀で、まことに好人物に見えた。犬鳴の他愛ない話に相槌を打ちながら、この、東京の男の突然の訪問の真意を測りかねているが、自分のほうから聞こうともしない。ただ、良からぬ話。ということぐらいは感じているはずだった。
 頃合を見計って、本題に入る。犬鳴は、(工藤さん単刀直入にお話いたします。僕もお嬢さんと同じ年の娘がいますのでやりきれないのですが)と前置きをして、佐織が勤務先の医者と不倫して身ごもっていること、もう、五ヶ月を迎え、堕ろすなら時間が無いこと、そして何よりも、彼女が如何に頑張っても相手のの妻になれないこと、場合によっては、多額の損害賠償を請求されること、など、手短に、しかし、明確に伝えた。

 犬鳴の言う事を黙って聞いていた父親がやっと口を開いた。「もうすわけねえでし」犬鳴にはそう聞こえた。(いやいや、お父さん。申し訳ないのはこちらのほうです。本来ならば、当人のドクターが来なきゃあいけないんでしょうが、勤務の都合で私が代理で参りました。まあ、こんなことを例え父親でも工藤さんに言うことじゃあないのかもしれませんが、こちらも、こうするしか方法が浮かばなかったものですから)時間も有りませんし。最後にそう付け加え父親の返事を待った。東北の人はおしなべて無口な人が多いという。犬鳴はある程度承知していたし、罵声を浴びせられることも覚悟していた。しかし、返って来た言葉は、犬鳴のことを慮る優しい声音の短いものであった。「今日はお泊りでしょうね」父親の真意を測りかねたが、犬鳴も短く(ハイ)と返事した。
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