探偵日記 3月31日火曜日 晴れ
今日は5月の下旬か6月の上旬のような気温で東京も夏日になるかもしれない。と、NHKの天気予報で言っていた。それじゃあもう冬のスーツじゃあ暑いだろうと思い、昨年誂えたスーツに着替えた。新宿駅や、事務所のある新宿御苑前駅には家族連れが多く見られ、その人達が御苑に向うのを見送って事務所へ。まさに桜は満開で絶好のお花見日和。春休みの子供達も大はしゃぎしている。事務所の女性三人は、お弁当を買って御苑で昼食を摂る予定だとか。ただ、僕は(花より団子)党なので、自身が行こう等とは決して思わない。
新宿・犬鳴探偵事務所 9-3
午前10時きっかりに黒い法衣を纏った裁判長が席に着き、書記官が(これより平成九年タの第0000号事案につき公判を行います)と宣言し、続いて、(証人は証人席へお進み下さい)と、犬鳴に前へ出るように指示し、犬鳴は型どおり宣誓書を読み上げ、氏名年齢住所等を述べ着席した。すぐに、裁判長が、「では原告側から質問を行って下さい」と言い、裁判が始まった。
S会が主張する、犬鳴探偵事務所がS会の幹部宅の電話を盗聴した。とされる違法行為が行われたのは平成元年のことだという。このような違法行為、例えば、配偶者の不倫等も同じだが、時効は3年だから、もうとっくに時効を迎えて、(何を今更)と思うが、Wが裏切ってS会に駆け込んだのがおよそ二年前。したがって、S会がそうした事実関係を知ったのが有効期間内ということのようだった。
まず比較的年の若い弁護士が立って質問を始める。
弁護士「え~では証人にお聞きいたします。貴方は東京都新宿区にある犬鳴探偵事務所の責任者ですね。」
犬鳴 (はい)
弁護士「貴方は今のお仕事を何年なさっているのですか」
犬鳴 (二十五、六年です)
弁護士「主にどのような調査をなさっているのですか」
犬鳴 (一般的な身元調査や信用中調査と、稀に浮気の調査も行います)
弁護士「この裁判では、貴方の事務所で他人の家の電話を違法に盗み聞きした。として訴えられているのですが、そのことは認めますか」
犬鳴 (いいえ、そのような違法行為はしておりません)
弁護士「ああそうですか、では、貴方の事務所では電話の盗聴等はできないということで宜しいでしょうか」
犬鳴 (出来ないのではなく、やらないのです)
弁護士「じゃあ出来るのですね」
犬鳴 (警察署から紹介されたといって、自宅の電話に盗聴器がついていないかどうか調べてくれ。という依頼は良くありますので、仕組みというか方法は分りますよ)
弁護士「ということは頼まれればやることもあるわけですね」
犬鳴 (知っていることと、実際に行うって事は違うんじゃあありませんか。)
弁護士「犬鳴探偵事務所には、発信機とか録音をする機械がありますよね」
犬鳴 (はい、備品として置いてあります。)
弁護士「何故、使うことのない機器を置いておくんですか?」
犬鳴 (お飾りですね。まあ、探偵事務所の端くれですから見栄のようなものでしょうか)
弁護士「じゃあ、これまで一度も盗聴などはしたことはないのですね」
犬鳴 (はい)
これで私の質問は終わります。
次に、もう少し年嵩の弁護士が、では私から証人にお聞きいたします。と言ってバトンンッチした。
弁護士「え~これを証人にお見せいたします」
註)何か証拠資料を被告や証人に示す場合、裁判長の許可を必要とする。
弁護士「承認が今手にしている冊子は貴方の事務所の報告書ですね」
犬鳴 (そのようですね)
弁護士「7ページの5行目に(特殊調査の結果判明云々)というくだりがありますが、この、特殊調査ってなんですか?」
犬鳴 (わかりません。張込尾行のような調査でも特殊調査って表現しますので)
弁護士「この報告書は誰が作成したものですか」
犬鳴 (担当した調査員が書いたり、そのあと私が付け加える場合もございます)
弁護士「この調査は、対象がMという人のようですが、Mさんの自宅に盗聴器を仕掛けたのではありませんか」
犬鳴 (いや、これは一般的な信用調査だと思いますが)
弁護士「ではこの請求書を見てください。これは貴方の会社で発行したものですよね」
と言って、裁判官にも同様の紙片を示し犬鳴に質問をする。
弁護士「請求金額は1千万円近い金額ですが一般的な身元調査でこんなに高額になるんですか」
犬鳴 (まあそういう場合もあります)
弁護士「どんな場合ですか」
犬鳴 (良く覚えていません)
弁護士「まあいいでしょう。この請求書の金額は集金出来たのでしょうか」
犬鳴 (勿論頂いたと思いますが、私は経理的なことはタッチしていませんので何とも申し上げられません)
弁護士「銀行振り込みでしたか」
犬鳴 (さあ、はっきりしたことは分りませんが、この頃は多分手渡しだったように記憶しています)
弁護士「いずれにしても、この調査は実施し、精算も出来ているのですね」
犬鳴 (そうだと思います)
弁護士「裁判長のお手元にも有りますように、平成元年3月21日付けで、証人の会社で発行したN講宛の領収書を証人に示します。証人はこの領収書をご存知ですか」
犬鳴 (小社で発行したもののようですね)
弁護士「この宛名や日付は証人が書いたものではありませんか」
犬鳴 (私の字に似ていますがはっきりした記憶はありません)
ここでまた弁護士は裁判長に証拠資料を見せ犬鳴に質問をする。
弁護士「では次に、証人にこれを見て頂きます。このテープにはMの件、2月5日。と書かれていますが、これは、Mさんの自宅が盗聴され、家人の会話が録音されています。これは貴方がWさんに 直接手渡したものですね。」
犬鳴 (記憶にありません)
弁護士「そんなことはないでしょう。録音したテープがあって、それに基づく報告書及び請求書と領収書があるんですよ。承認の会社がMさんの家の電話を盗聴し、毎日、テープをWさんに渡して 報告したのではありませんか」
犬鳴 (先生は誰かから変なことをお聞きになって、特別な先入観をお持ちのようですが、そのテープの何処に、犬鳴探偵事務所とか、私の名前が書いてありますか)
その後、4人の弁護士が次ぎ次に交代し、犬鳴に質問を浴びせ、M宅の電話を盗聴した事実を犬鳴に証言させようと躍起になったが、(そのような違法行為は行っていない)と言い張る犬鳴と堂々巡りを繰り返し午前の部は終了した。正直なところ、録音テープ、報告書、請求書、領収書、と総て揃っている。ただ、認めれば全面的に敗北することになり、Wはともかく、依頼人に迷惑をかけてしまう。向こうも、傍証は完璧だが、かといって、実際に犬鳴探偵事務所の調査員が盗聴器を仕掛け、会話を録音した現場を見たわけではないし、ましてやその依頼をN講がしたと言う証拠はない。請求書があって領収書はあるが、本来そのような書類は受取人の許にあるべきもので、S会が持っていること自体おかしな話だ。
午後、再び、S会の弁護団に攻めたてられ、その合間に、犬鳴の弁護人が応援し、Wの弁護人も犬鳴に質問した。形からいえば、Wも被告人の一人だから、その弁護人は当然、犬鳴に有利 な質問をするはずだが、そうではなかった。というより、S会の六人の弁護士にも勝る舌鋒で犬鳴を攻め立てた。犬鳴は、やはり東大出の弁護士は鋭いなあ。と感心させられる場面があったが、とにかく、知らぬ存ぜぬ。で通した。(嘘つくんじゃあないよ)とか、(いさぎよくないぞ)などと傍聴席から野次が飛んでくるが、これらはS会の信者だろう。
やがて、最後に裁判長の質問を受ける段階になった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー