探偵日記 04月16日月曜日 晴れ
昨日のコンペ「サンサン会」は最悪だった。天気に関しては当初の予報に反し、小雨だった雨も2ホール目ぐらいであがり、その後は涼しくていいコンデションだった。
朝、コースの練習場でアプローチとドライバーを少し打ってみる。問題なし。特にドライバーは7発総てが会心のショット。よ~し。と思って第1打席に立つ。思い切り振りぬいた球は目の前の大きな池にポチャン。次のショートホールも池ポチャ。次のロングホール、第1打を大きく右にひっかけ、第2打は木の根っこで出すだけ。結局3ホール終わって9オーバー。このコンペの僕のハンデは9だから、この段階ですでに使い果たした。7番のロングでバーディを取ったが後の祭り。GWの山口オープンで修正しよう。
株式会社ティー・ディー・エーの歴史
新宿探偵事務所~から「テイコクディテクティブエージェンシー」へ
1ルームのオフイスビルの1室を買って7年目。大きな転機が訪れた。毎日忙しくしていた頃のこと。事務所近くのビルに入居している会社から(ちょっと来てくれ)という電話が入り午後5時過ぎその会社を訪問した。専務という佐藤某と面談、相談の内容は所在調査いわゆる人探しである。これを成功させ次々と依頼されるようになった。当時、一世を風靡した会社に「最上興産」という地上げ専門の不動産会社があった。社長は競馬馬を何頭も持ち夜ごと銀座の高級クラブで豪遊していた。そんな会社の2番手みたいな会社がその頃僕を頻繁に呼びつけた。僕のどこを気に入ったのか分からないが、佐藤専務の推薦が良かったのか社長までが、個人的な調査を頼んできて、もうすっかり子会社みたいになっていた。その結果、昭和62年2月、社長命令で事務所を移転することになり、7~8人だった調査員は3倍に増え、5,5坪の事務所は、新築のビルの1フロアー35坪に化けた。そんなことをしてもらわなくても十二分に儲かっていたし、気楽に探偵稼業を続けていたのだが、組織は違えど上司のような人が出来て多少窮屈になったが、まあ、(寄らば大樹の陰)という諺もある。と思うことにした。この6~7年は経済的にも楽ちんで、車好きのその社長にも勧められ、調子に乗って最初のベンツを購入した。ーーーーーーーーーーーーーー