探偵日記

探偵日記 01月18日土曜日 雨

昨日は忙しい一日だった。万歩計を見ると8000歩以上歩いていた。しかし、夜は早く帰宅して、女房殿に「あらどうしたの?」と言われる。
今日は午後天候が回復したら、またバスと電車を乗り継いでゴルフの練習に行くつもり。なぜならば、明日の日曜日、大事なコンペがあり、そろそろ優勝しなければ格好がつかない。
最近の僕は周囲の人たちが(どうしたの)というくらいのていたらく。自分でも凋落ぶりを理解できずにいる。
夜は、知人の家族と一緒に阿佐ヶ谷の焼き肉屋で会食の予定。

新宿・犬鳴探偵事務所 18

この少し前、やはり警察庁の指導で全国の3団体がまとまって、「日本調査業協会」が発足、本部事務所を千代田区飯田橋に置いていた。この日スタートした「東京都調査業協会」は下部組織の筆頭として当面飯田橋の本部に居候することも決まっている。日本は、元、丸の内署署長の木村正一氏が、東京のほうは、探偵社の雄、千駄ヶ谷にあるテイタンの社長、廣島澄雄氏がそれぞれ会長に就任した。まさに、探偵業が(正業)として世間に認知される序章であった。しかし、世間の(何となく胡散臭い職業)という差別は根強く読売新聞、朝日新聞、などの4大紙は探偵社の社員募集の広告の掲載を拒否。犬鳴のように事業拡大のために新しい事務所を借りようとしても、ことごとくノーと言われるありさまだった。
話を井口夫人に戻す。
困り果てた犬鳴は、その頃は毎日のように事務所を訪れる夫人に事情を説明すると、夫人は「へ~そうなの失礼しちゃうわね。じゃあ、私の友人がホテルニューオータニのメインロビーでやってるブティックの名前で借りよう。借りてしまえばこっちのものヨ」とアドバイスしていくれ、仲介業者にそのことを言うと、「ああ良かった。それなら問題はありません。その奥さんの言うように、入居した後どんな看板を出そうと文句は言わないでしょう。」ということになり、少々乱暴なやり方だなと思ったが、数日後晴れて契約がととのい入居の運びとなった。
新事務所の場所は新宿二丁目。新宿通りから少し入った真新しいビルの1フロア35坪。敷金2400万円、月々の家賃80万円、「ワンちゃんやるからには日本一の探偵事務所にしなさい」という井口夫人のハッパを受けて、床には靴が半分沈むくらいのジュータンを敷き詰め、犬鳴の机や本棚、応接セットなど、当時高級家具をそろえていることで有名だった小田急のハルで買い揃え、受付などは訪れた仲間が、「まるで銀行の窓口のようだ」と言うどで、終わってみればゆうに5千万円要した。・・・・・・・・