探偵日記 01月19日 日曜日 晴
今日は阿佐ヶ谷のゴルフコンペの日。朝4時40分起床。阿佐ヶ谷駅で友人にピックアップしてもらいコースへ。
スタート2ホールはまあまあだったが3・4ホールで信じられないミスを連発大きく崩れた。自分自身何をやっているか分からなかった。その後、持ち直し、最終ホールと午後10番ホール連続パーをとるも、全体にピリッとせず5位に終わる。100を叩いたらもうゴルフをやめる。みんなに宣言したが、とりあえずやめずに済んだ。優勝は愚妻。18時からパーティ。行きたくない(笑)
新宿・犬鳴探偵事務所 19
昭和61年2月、ビルの完成とともに入居。新生、犬鳴探偵事務所のスタートである。
16日、関係者を招いて事務所開きを行う。勿論主賓は井口夫人だ。しかし、「ワンちゃん私はいいから」と言って隅のほうで目立たないように座っている。まあ、そうだよな、と思い誰に紹介するでもなく特別な接待はしなかった。だけど、犬鳴は努めて夫人の近くに居て、お祝に駆けつけてくれた人たちをそれとなく(あの人が日本の会長、この人が事務所の顧問弁護士)というように説明した。母には、前もって夫人のことを知らせていたので、二人は睦まじく会話していたようだ。この日は、犬鳴の生母や、犬鳴をこの世界に入れてくれた、帝国興信所(その頃は、帝国データバンクと社名を変えていたが)の叔父も出席してもらった。この日出席してくれた人は、元同僚や東京都調査業会の幹部、そして、これまで犬鳴の下で修業して独立していった者たち、このほか、歌舞伎町のクラブのママやホステス達も花を添えてくれた。35坪の事務所は一杯になり、スケルトンの時はずいぶん広いな~と思っていた事務所だがいざ入居してみるとそれほどでもないなあと思いながら、それらの人達に挨拶して回った。今思うと、犬鳴に探偵人生で最も輝いていた時かもしれなかった。
新しい事務所は、新宿通りから少し入ったところにあって、地下鉄「新宿三丁目」駅から数分と利便性も良く、あの伊勢丹にも近かったので、ランチはもっぱら伊勢丹の7階に行った。ビルのエレベーターを4怪で降りるとすぐに事務所の受付のカウンターがあり、事務の多佳子と、最近採用したちょっと美人の女の子が座って、来客を出迎えた。パーテーション向こうに調査員たちの部屋があり、真新しい机と書類棚が置かれ、全国の電話帳、東京都内及び近県のゼンリンの住宅地図が揃えられていた。さらに、犬鳴の部屋と応接室を兼用したスペースで、オークル色の事務机と応接セット、壁にはスペインの風景画が飾ってある。・・・・・・・