すぐに池沢と会う約束をした僕は、雀荘のマスターに(ラス半ね。ーーラス半とは、あと半チャンで止めるという宣言のこと。)と言って、10分後、店を出た。新宿三丁目の喫茶店で池沢を待っている間、昨日池沢と交わした冗談(池沢は冗談と思っていなかったようだが)を思い出していた。その頃、神奈川県K市にある総合食品の卸会社から頻繁に調査の依頼を受けていた。精肉がメインの会社でかなりの業積を上げていた。新規の取引先の調査や、採用する者の身元調査が主な依頼であり、担当が池沢で、そのほか色々な案件の相談も受けていたが、
昨日、事務所に戻ってきた池沢が「ちょっと所長良いですか」と言って僕の部屋に入ってきた。何だろうと思って聞くと「T社長が、取締役で経理の責任者を消してくれって言うんですが」と言う。僕は自分より7~8歳年上の池沢がまさか本気でそんなことを考えるとは思っていなかったので、笑いながら、勿論冗談で、(1億円で良いんじゃない)と言って、「T社長は前からあの経理部長を煙たがっているようだけどどうしてなのかなぁ」と付け加えた。池沢は、実は、と言ってこんな話をした「T社長の奥さんと出来てるんですよ」さらに、「この間、奥さんに離婚を切り出したら、じゃあ、税務署に告発してやるって言われたらしいんです」T社長は、経理部長と妻の仲を疑っていたので、二人に脅された。と思ったようだった。
この二人がただならぬ関係であることは何となく判っていた。ただ、T社長にも愛人がいたのでお相子なのだが。僕は良く考える。勿論僕も例外ではないが、人の欲望は果てしないものである。特に経営者たる者ほぼ100パーセントそうした欲望に負ける。何とか節税したい。と考えるうちは良いが、さらに進んで(脱税)を計画するようになる。税務署や国税も戦力面に限界があって、年間摘発出来る対象が限られる。したがって、内部告発等比較的立件し易い案件が先になり、(あの会社は大規模な脱税をしている)といった風説ではなかなか動けないのが実情である。言い換えれば、スピード違反のネズミ捕りみたいなもので、引っ掛かる者は運が悪く(ついてなかった)ことになる。
だから、T社長の会社のように、経理部長と、経営者の妻で取締役の二人が告発すれば、T社長の犯罪は公となり金額によっては刑務所に入らなければならなくなる。しかし、だからといって、消してくれ。はないだろう。どうしてもそうしたいのなら自分でやればいい。第三者に依頼すれば、脱税を糊塗出来ても、場合によっては、後に、実行犯からゆすられる危険もある。
池沢が喫茶店に入ってきた。僕はあれっと思った。5千万円といえば大金だ。重さだって5キロあるはずだ。しかし彼は手ぶらだった。向かいの席に座った池沢はやや顔を紅潮させ「はい所長」と言って1枚の小切手を差し出した。5,000万円確かにその金額が書かれていた。僕は(部長、昨日俺は冗談で言ったんだよ。あんたもいい年をして何考えてんだよ)と言った。池沢は怪訝そうな顔をして「まずかったですかねー」と言う。(当たり前じゃあないか、うちの売り上げは年間数億円あるんだよ。たった1億円で、そんな危ないことは出来ないよ)と言うと、池沢は「安かったですか」と、とぼけたことを言う。(そうじゃないよ。いくら探偵社でも出来ることと出来ないことがあるだろう。俺が常々言ってるように、泥棒と人殺しはしない)って。
困った顔をした池沢が次に言ったことは「じゃあ何もしないで、この金で飲んじゃいましょう」だった。彼とは長い付き合いで、僕がちょっとの間いた探偵社に後から入ってきた男である。麻雀が好きで、大酒のみでもある。僕の事務所に来てから、僕がゴルフに誘いよく一緒に行った。一見すると(元刑事)に見える風貌だが、極めて律儀な性格で、子煩悩でもあった。バブル前、事務所の規模が拡大したため三顧の礼を持って迎えた人だった。
その人がこんなことを言うようになった。バブルが人の性格まで変えたのか?僕は唖然としたが、次のように言って諭した。(池沢さん良く考えてくれ、僕たちみたいな者にこんなことを依頼する人だよ。何もしないでお金だけ取られたことが判ったら今度はこっちをターゲットにするよ。とにかく、明日責任者が会いたいからって約束をしておいて)-------
10月6日土曜日
世間は今日から3連休。僕は前々から考えていたことを実行した。携帯をスマホに変えたのだ。3日もあれば練習が出来るし。新しい携帯電話を見ながら期待と不安に胸を膨らませながら、ブログの更新をする。妻や娘に「何で黙って一人で行ったのよ」と非難されるだろうが、間違っても妻に僕の携帯を見られたくない。特に秘密があるわけではないが、何となく(秘密)を持っていなければ落ち着かない嘘つきター坊。の僕である。(笑)
皆さん。もし僕が変な時間に電話をかけたりしても怒らないでね。--------