逃亡 1

探偵日記 11月01日金曜日晴れ

今日から11月、短い秋が早くも終わりそうな気配。雨にも寒さにも弱い僕にとって、これからの数ヶ月は苦難の日々となる。1,2月はハワイかグアムで、ゴルフ三昧で過ごそうかと思うが貧乏探偵には夢のまた夢。肩をすぼめてちじこまって凌ぐしかない。月の始めということもあって、気合を入れて早めに出勤。10時前に事務所に着いたが、携帯電話を忘れてきたことに気づく。さあどうしようか。その他にもちょっとしたアクシデントがあり順調なスタートとはいえない。でもまあ、ケ、セラ、セラで行こう。

逃亡 1

2年前、IT関連の某社から所在調査の依頼が入った。なんでも、子会社の社長が総会寸前に連絡が取れなくなり、八方手を尽くしてみたが杳として行方知れずだという。その社長(マルヒ)は、K大を卒業した昭和60年、親会社に入り、順調に出世街道を歩み数年前取締役となったあと、子会社の社長に就任した。仕事も出来、人望の厚い人だったが、やや、男子の覇気に欠ける面があり、派閥に恵まれた感は否めない。というのが社内の大方の見方であった。また、親会社から子会社の社長になった経緯も、派閥の争いに負けて、体よく追い出された。のが真相のようだった。大きな企業に限らず良く聞くことで、目をかけてくれていた上司が失脚したため、途端に冷遇される。中には、嫌がらせの傾向の強い移動で、とんでもない地方に飛ばされたり、閑職に追いやられるのは日常茶飯事だ。余談だが、犬鳴の叔父でH男という人がいて、東大から当時の大蔵省に入り、銀行局長までいったが、ある年、省の意向で外遊することになった。名目は(世界の金融事情を勉強して来い。)というようなものだったが、数ヵ月後、帰国した彼を待っていたのは信託銀行の社長の椅子だった。次官も噂されていたから、仮に次官が無理でも、本来ならば、日銀の要職か少なくとも在京の銀行の頭取が普通なのだが、H男は真面目で堅物、冗談も言わず、人と群れたり閥を作ることを嫌う傾向が強かった。欲も無かったのだろうその信託銀行の社長を長く務めて終わってしまった。

しかし、本件のマルヒが現職に不満を持っていたとか、何か問題を抱えていたなどの事情は無く、親会社の人事や、社内の誰もが(思い当たることは無い)ということだった。犬鳴は受件のため訪問した親会社の応接室で、人事担当の常務の話を聞きながら(昔流行った蒸発かな)などと考えていた。人は一人では生きてゆけない。というのが犬鳴の持論である。どんな事情を抱えた人でも、必ず誰かと繋がって生活するものである。ただ、「蒸発」は病的なもので、こうした場合の所在調査はマルヒの足跡を追う事は困難である。何しろ、原因も分らなければ、日々の行動に脈絡も無い。帰趨本能も希薄で、暮らしに困っても帰ってくることすら考えない。突発的に自殺するか行き倒れとなるのが関の山といって良い。(自殺する可能性は有りませんか)犬鳴の問いに、「そんなことは無いと思うが・・・」常務はそういいながら深い溜息を漏らした。-----------