探偵日記 1月5日月曜日 晴れ
3日4日と栃木県小山市でゴルフ。3日は見張り番(僕の愚妻)の誕生日で、「小山グランドホテル」に宿泊し、ホテルのレストランでささやかにお祝いをした。妻68歳。僕70歳。翌4日は阿佐ヶ谷の悪友達と、新年サンサン会。藤井夫妻が優勝と準優勝し、細君のえりちゃんが馬券1-4を一人占め、配当金総額2億3000万円は優勝した夫と山分けしたらしい。福田家は年末ジャンボも空振りで淋しい年明けとなった。でもまあ、良い運は残しておこう。と、慰めてお正月休暇が無事終了した。
10時過ぎ事務所へ。今日はお昼のランチを兼ねた顔合わせ。飲み放題の設定したのでなんか悪酔いしそうだ。
新宿・犬鳴探偵事務所 1
私立探偵犬鳴吾朗の故郷は海のある町である。
昭和38年春、大学入試に合格した吾朗は22時間かけて上京した。卒業後、大手企業に入ったものの僅か半年で依願退社。ヤクザになろうと思い、当時つるんでいた不良仲間と刺青を入れに訪れた彫師に諭され、行き場を失っている時、読売新聞の小さな募集広告を見て(面白そうだ)と思って入った調査の世界が、後に天職と思えるほどにのめりこむ「探偵」との出会いとなった。他人に使われことを嫌った生意気な若造は、その後、一匹狼の探偵となり、数年後、たった一人の探偵事務所を開いた。
その探偵事務所は、新宿の大ガードから四谷に向かうメインストリートの新宿通りを、旧花園町の方へ40メートルぐらい入った仲通商店街に面した所にある。この街の昔を知っている人なら覚えているだろう。かって、女性のオーナーが経営するトルコ風呂(今はソープランドというようだ)の有った場所で、バブル時に店をたたんだオーナーが8階建ての賃貸ビルにしたらしい。所長の犬鳴吾朗がまだ完成していない4階ワンフロアを契約し、昭和61年2月、内装に思いっきり金をかけて入居した。ただ、何事も思いつきで決めてしまう犬鳴は、この町全体が、いわゆる「二丁目」と呼ばれるゲイが屯する街であることを忘れていた。ビルの袖看板にネオン仕様の社名を出し、顧問先や知り合いの弁護士、それに犬鳴の友人らを招いて派手に事務所開きを催したとき、皆に(ワンちゃんなんでここなんだよ)と笑われて、(ああそうだった)と思い出したが後の祭り。だが、犬鳴はたいしてめげなかった。そうしたゲイの色濃くなるのは夜半から明け方で、日中は、新宿駅や地下鉄の新宿三丁目から近く、何より歌舞伎町が目と鼻の先にあり、行きつけの雀荘まで徒歩3分というのが気に入っていた。
この頃の探偵業界は熾烈(犬鳴はなりふりかまわぬ下品な。と思っていたが)な広告合戦が繰り広げられ、NTTのタウンページの営業マンの口車に乗った業者が我先にと誇大広告を打ってきていた時代だった。犬鳴のポリシーは、この仕事の基本は口コミだ。と考えていたので、そうした宣伝には頼らず、もっぱら東京都内の法律事務所を開拓していた。それでも時々は、一見の依頼人も訪れ、中には主婦が数千万円の調査料を支払ってくれたりして、世はまさにバブルの真っ最中だった。-----------------