探偵日記

探偵日記 2月17日火曜日 雨と雪

朝食を終えた頃から雪空になった。10時半、事務所に着く頃はあがって、車を御苑の駐車場に停めて事務所へ。調査員らは尾行調査で出払っており静かである。しかし世の中には訳の判らない人も居るものだ。実は、数年前より「妾」のお守りをしているのだが、この叔母サン悪知恵だけは達者だが常識が全く通じない。僕は(旦那)に頼まれて、月々の生活費を振り込んだり、彼女の要望を聞いて旦那の社長に伝えたりする「連絡係」みたいなことを、半分好意でやっているが、妾の彼女には、僕が自分の使用人に思えるようで、上から目線で色んなことを命じてくる。僕は、事務所にとってかけがえのない社長の「盾」のつもりもあって、大体のことは大人しく聞いているが、或る時こんなことが有った。社長に頼まれて100万円を渡すことになったが、至急ということで、マンションに持参した。すると、「今ちょっと手が離せない」というので、鍵のかかっているメールBOXに投函し、直後に取って貰う事にした。ちょっと不安に思った僕はメールBOXの裏で待機し、数分後、彼女のど派手なネイルの指先が封筒を取り出す様子を確認した。一方、別の調査員に、エレベーターで1階に降りてきてメールBOXに向かう彼女を確認させた。

しかし、後日、「そんなお金受けとっていない」と彼女が言い出した。社長からは全幅の信頼を得ているので疑われることこそないが、万事こんな調子で僕の気持ちを逆なでにする。しかし、こんな任務もあと1ヶ月少々で終了する。なぜならば、僕が社長に進言して、今彼女が住んでいる億ションを出て行ってもらうよう工作したからだ。何かの時の命綱であろう僕の怒りを買った、(超バカ女)である。

新宿・犬鳴探偵事務所 5-5

 勿論、まず最初に矛先は父親に向けられた。父親が総てを告白して謝罪したとは思えないので、次に、倍増した怒りの矛先が井口夫人に向けられたのだろう。不倫相手の娘に抗議を受け、二人の関係を知られた。と思ったが、夫人はともかく、男性のほうが夫人との関係を清算しようとしなかった。彼もまた、井口氏同様世間知らずの真面目人間であった。大事な妻を失うほどの危険極まりない行為をやめるどころか、切羽詰った状況が以前にも増して二人を燃え上がらせたのだ。その一つが、日中、野菜畑での束の間の逢瀬であった。

 犬鳴探偵事務所の調査は思わぬ方向で予期しない展開を見せた。まだ三十ちょっとの娘は、父親の動向を探ることに情熱を注ぎ夫の変化を見落としてしまった。或る時、調査員の一人が言ったひと言で、犬鳴はターゲットを娘の夫に変更した。すでに二ヶ月以上娘の動向を調査したが、これといった成果が上がらないまま犬鳴も調査員達も少々倦んでいた。そんな時、「所長、銀行マンてえのは随分忙しいんですね。毎日午前様だし、この間は、部下なのかなあ若い女性が車で家の近くまで送ってきたんです。」と言いながら、ちょうど一緒に居た同僚に同意を求めるように「おい、あいつらちょっと変じゃあなかったか?家からちょっと離れた所に車を停めてさあ、暗くてよくわかんなかったけど抱き合ってたようにも見えたよなあ。」調査員の言葉を聞き、犬鳴は(お前達、その車を尾行してみたのか?)と、問うてみた。「いいえ、追っかけてません。でもナンバーは控えてあります。」と言う。
(よし分った。今日から亭主がマルヒだ。それから井上はすぐ陸運局に行って来い)犬鳴が言うと二人は飛び出した。

 夫に変更された調査はあっけなく終わった。想像したとおり同僚の女性と不倫していた。勤務先から女性のアパートに直行し、おそらく彼女の手料理で夕飯を済ませるのだろう。調査をした間は二人揃っての外出は無かった。女性のアパートはJR新大久保駅から高田馬場方向に少し入ったところ。犬鳴は、何となく、松本清張の小説を思い出した。小心で真面目なサラリーマンがやはり同僚の女性と不倫関係に陥り、その事実を隠し通すために、強盗殺人の疑いをかけられた近隣の人のアリバイ(私は、犯行の有ったとされるその時間に、近所に住むKさんのご主人と会いました)を証言しない。という内容だったと記憶する。確か、主人公のそのサラリーマン役を、今はもう居ない小林桂樹さんが演じていた。マルヒの夫と映画の主人公をダブらせたのだが、もし、マルヒの夫が同じ立場になったらどうするだろうか。

 数日後、井口夫人に報告する。口頭で報告する犬鳴の説明を聞きながら、(まったく、男ってしょうがないわねえ)と、わざとらしく嘆息する。確かに当時はまだ圧倒的に男性のマルヒが多かった。しかし、相手が居なければしたくても出来ないのが不倫に限らない男女の仲である。だからといって、相手の女性が一方的に悪いというわけではないが、中には、既婚者にしか興味を持てない女性だって居る。そういう女性にとって、(愛人)という立場は、プラスアルファの刺激があるのだろう。今回の、マルヒの夫の相手は、決して美人ではないが、知的で大人しそうな人だった。大地主の娘である妻と比べて、また違った魅力があるのだろう。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー