探偵日記 2月19日木曜日 晴れ
昨日は体調も悪く、バタバタしててブログの更新をお休みした。几帳面な僕はそんなことでも何となく罪の意識に責められる。
夜、「お寿司が食べたい」と言う見張り番(奥さんのこと)の希望で、新宿の(八方)という店で待ち合わせする。午後7時、2~3分遅れるかな。と思って急いで八方まで行き、さあ入ろうとと思ったとき携帯電話が鳴って、見ると奥さんからのメールでこんなことが書いてあった。「今、海舟に入れました」海舟は阿佐ヶ谷にある小料理屋だ。そういえば電話で約束した時変なことを言っていた。妻「じゃあ貴方が予約しておいてね」僕(そんなのいいよいつも空いているから)八方さん失礼、時間的にという意味です。一方の海舟は、ふらりと立ち寄ってもまず一杯で入れない。完全に勘違いしているのだ。僕は(バカ、何言ってるの八方でしょう)と返信しすぐにタクシーに飛び乗った。二人合わせて168歳。これからこんなことが増えるだろう。
ここで一句(ボケたふりして徘徊する歌舞伎町)どう?
新宿・犬鳴探偵事務所 6
その後、井口夫人からの仕事は夫の素行調査に戻り、三日にあげず「ワンちゃん今日もやってね」と、リクエストがくる。調査員達も馴れたもので、当時、井口係になっていたペアの専従員が「了解」といって出て行く。マルヒは極めて好人物といえるが、探偵にとってこんなに手のかからない対象者は珍しかった。すでに二年近く尾行しているにもかかわらず一切気づかない。たまに後ろを振り返ったりするそうだが、尾行に注意してのことではなく、マルヒの気まぐれみたいな行動であろう。犬鳴の事務所では、新人が入ると井口班に加わらせ(尾行調査)の実習をさせていたぐらいである。余談だが、中には物凄く勘のいいマルヒもいて、稀にだが調査不能に陥ることもあった。その昔、(S調)と呼ぶ調査があった。正式には(思想調査)で、勤務先から共産党員ではないか。と疑われた社員の調査を良く行った。会社を出たマルヒの尾行を開始すると、彼らは決して後ろを振り返ったりしない。その代わり、一旦乗った電車から発車間際に降りたり、逆に、乗る気配を見せずに、発車寸前に飛び乗ったりする行為を数回繰り返す。まことに、探偵泣かせではあるが、(語るに落ちる)とはこのことで、自ら(私はそうです)と言っているようなものである。勿論探偵のほうも手を変え品を変えて、動かぬ証拠を蒐集する。
平成に入り、犬鳴探偵事務所の業積は飛躍的に伸び、業容も整ってきた。何を勘違いしたか、周辺の金融機関から「お金を借りてくれませんか」といってくる。ただ、妙に律儀で几帳面な犬鳴は、(借りたら必ず返さなければならない)と思うものだから、ましてや、必要も無い借金をする気も無く、逆に、せっせと貯蓄した(嘘)せっせと歌舞伎町通いをして、余分なお金は全部使い果たした。事務所では、それまで毎年春と秋に一泊か二泊で温泉旅行をしていたが、調査員達の見聞を広める効果を考え、平成元年より社員旅行を海外に決め、初回は女性陣の意見に従い、(香港)に行くことにした。
11月の終わりから12月にかけて、ツアー費用の安い時を見計らって香港に出かけた。飛行機嫌いの犬鳴は、(ああ、俺の一生もこれまでか)と観念して搭乗する。実は、この日に先だち、悪友らと台湾に行った。当時、台湾旅行と聞けば、男性は顔がほころび、女性は逆にしかめる。ところが悪いことは出来ないもので、羽田空港に着いたあたりから猛烈に悪寒がし、高熱が出てきた。台北に到着してホテルに入る頃には最高潮に達し、皆が街に繰り出すのに犬鳴はゴメンなさいをして部屋に籠った。やがて皆がご帰館に及び代表者が五、六人の可愛い女の子を連れて犬鳴の部屋をノックする。ベッドから起きだし(なあに)と言うと、「ワンちゃんこの中から好きな子を選んでよ」と言う。彼女達はここぞとばかりに精一杯可愛い仕草をして売り込むのだが、犬鳴は高熱と悪寒でガタガタふるえてそれどころではない。代表者もそんな犬鳴を見て察したか「明日のゴルフ大丈夫かなあ」と言いながら、女性の斡旋だけは諦めてくれた。
翌朝、昨日のことが嘘のように元気になり、有名な淡水というコースで行うコンペに参加した。ところが、帰路バスに乗ったあたりから再び昨日と同じ症状になり、ああ、今夜もひざを抱えて寝るのか。と思ったが、最後の夜だから是非、というみんなの言葉に応じて台北の夜の街に出て行った。暗くなると具合いが悪くなり、夜が明けると元気になる。何だか仮病みたいに思われるのも嫌なので、我慢して宴会には加わったものの、さあ、という時には立っていられないくらい悪化する。この日も犬鳴だけが良い子になり、みんながペアで帰る中、一人淋しくホテルに帰った。ところが、また朝になるとすこぶる元気になって、帰国前のプレーは支障なく出来た。仲間に白い目で見られながら、生まれて初めての海外旅行を、何となく妙な経験した思い出がある。 次に、歌舞伎町のクラブで開催した、韓国でのゴルフコンペに参加し、二度目の海外旅行をしたが、詳しく書くと(いい格好するんじゃあないよ)と言われそうなので割愛するが、意欲満々で臨んだキーセンパーティも不首尾に終わってしまった。暫くは(ワンちゃん、余程女房が怖いのだろうか)という風説が業界に流布された。滑り出しはそんな具合だったが、好むと好まざるに関係なくそれから30数回いろんな国に行く羽目になり、その都度、機体が成田空港の滑走路に(コツン)と着くまで、何度と無く犬鳴の人生は中断された。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー