探偵日記

2月21日木曜日晴れ

今朝は昨日の朝より寒く感じなかった。風がなかったせいだろう。少しずつ早くなってゆくタイちゃんのお目覚め、今日は5時過ぎから騒ぎ始めた。1時間の散歩を終え少し仮眠する。僕的にはこの1時間が嬉しい。
今日は新しく貧乏事務所に入ってくる青年の初出社の日、前にもちょっと書いたが、関西方面の某県から履歴書を送ってきた。「探偵」若者が憧れる職業の一つなのだろうか、しかし、想像したものと実際の業務はかなりの格差がある。たいがいは、そのギャップに失望して挫折する。しかし、彼は家庭を持っている。まだ生まれたばかりの子供を抱えての上京である。余程の決心と、妻の理解が得られなければ実現しなかっただろう。
ただ、そうした人たちの思いとは別に、僕なりの考えがある。20代でこの世界に縁のあった彼は運が良いというか、人生に於ける大きなチャンスを得たのだと思う。僕は、昭和43年、まだ24歳の時、たまたま叔父の勤務先が日本一の調査会社(帝國興信所ー今の帝國データバンク)だったため、何となくこの業界に足を踏み入れただけで、自ら希望したわけではない。当時、新宿の歌舞伎町でバカをやっていた僕を、見かねた生母が兄である叔父に泣きついて、はからずも誕生した(新米探偵)だった。ところが、僕は瞬間的に(これは良い仕事だし、僕に合っている)と感じた。「調査業」には大変失礼な思い込みだったかもしれないが、以来44年もの長きに亘って、他の仕事に浮気をしなかったことを見れば、あの時の僕の直感は僕的には正しかったのだろう。さもなくば、まさかヤクザにはなっていないだろうが、うだつの上がらない不良サラリーマンか営業マンに成っていただろう。そしてまかり間違えば、「詐欺師」か(笑)ともかく、僕は探偵と言う職業に出会えたことでそれらの危機から脱出できたと思っている。
今日、我が貧乏事務所に入ってきた青年が、自分自身はもとより、妻子を幸せに出来るかどうかはこれからの努力にかかっている。そのために、大いに頑張って欲しいと願うばかりである。
最近、幼少時より(獣医)になりたいと希望し、受験した大学をことごとく制覇(合格)した青年の話を聞いた。1浪したが、塾通いの1年間で自身の想像以上の力を養えた結果らしい。しかし、そんなに裕福で無い家庭の事情で、もしかしたら志望校に行けないかもしれないという。両親の考えは、月謝の安い国立に行って欲しい。らしい。しかも、馬鹿な父親は、「私立なんかとんでもない、商科でも法科でもいいから国立を」と言っている。子供の将来は二の次ということか。僕は思う。今時、子供の頃からしっかりした希望を持ち、精神的に挫折せず結果を出した彼は立派である。頑張れ青年。

男子の人生様々である。僕の例をとっていうと、寒村の中学校を男女100人で卒業した。以来、50余年が経ち、男子50人中13人が亡くなった。結婚を一度もしない者が10人近くいる。各人の考え方の相違だから致し方のないことではあるが、出来れば人としての普通の営みを経験してもらいたかったし、そうした幸せを味わってもらいたかった。------