カンクラ 1

探偵日記 8月19日月曜日晴れ

今日から8月の後半、師走のジングルベルを聞くまでが今年の勝負期間となろう。今年は、2度の選挙や災害と猛暑に見舞われ、我々サービス業、特に探偵稼業はまったく精彩を欠いている。と言っても、犬鳴探偵事務所じゃあなくて、「株式会社ティー・ディー・エー」だけかもしれないが。それでもポツポツと依頼が入り何とか糊口を凌いでいる。実は昨日もゴルフだった。地元阿佐ヶ谷のコンペ(サンサン会)が、栃木県小山市の「ひととのやカントリークラブ」で行われ、最年長のT氏と、S氏が優勝と準優勝。うんと年下の僕達は(生きて帰れてよかった)と、無事の帰還を褒めあうていたらく。しかも、優勝したT氏は、午後のほうが良かったというから驚きである。これまでの僕は(夏男)と言われ、実際に暑くなってからのほうが成績が良かった。ところが2~3年前から真夏のゴルフが辛くなり、昨日など、午後の15番ミドルホールで頭がボーとした。ティショットは良かったものの上がったら9も叩いていた。集中力が切れたのだろうか、練習場では決して犯さないミスを連発した。ああ~情けない。

カンクラ 1

星野邦夫は広告代理店を経営している。といっても、社員は電話番の女子事務員一人居るだけでその他のことは全て星野がやらなくてはいけない。したがって、会社と言っても、ワンルームマンションの一室に事務机2つと簡単な応接セットがあるだけだ。ところが、法人登記も何にも無い「アーク」社はメチャクチャ儲かっていた。理由はただ一つ、星野の営業手腕のみである。その頃、星野は37歳だったが、以前は日本経済新聞社の社員で広告を取り扱う部署に長く在籍していた。独立したのは30歳の時、有り体に言うと「広告ブローカー」としてスタートし、今もそのスタイルは変わっていない。顧客は上場会社数社のみ。但し、月々の発注量が半端なものではなく、1回の印刷が数十万部。顧客の会社が販売する商品のカタログや販促のためのチラシの製作を一手に引き受けていた。

彼の経営手法は極力固定支出を抑えるもので、デザインや印刷は外注に任せ、仕上がった印刷物は外注の印刷会社からアークの名前で配送される。したがって、彼の仕事は得意先の担当者や外注のデザイン会社及び印刷会社との打ち合わせと、顧客の担当者を接待することに尽きる。むしろこっちが90パーセントを占め、最も神経を使う作業であった。では何故会社登記もない個人事務所に我が国を代表するほどの企業が指定業者として取引をするのか?彼は、担当者に対し、彼らの給与の数倍のお金と女性を手当てするのである。或る時、犬鳴が聞いたことがある(星野さん、それで良く会社が納得するね)と。すると、人懐っこい笑顔に、口元の一方を斜に上げる彼独特の表情で「ワンちゃん、毎月、サラリーマンの彼らの給料の3倍ぐらい渡すんだよ。証拠が残らないように手渡しで」と言ったものである。だから見積もりも請求も星野のやり放題だと言う。さらに、「だから俺はちゃんとした会社にせず税務申告もしないんだよ」と説明してくれた。仮に、顧客の会社に税務調査が入り、誰かが、星野の会社への支出に疑問を持って、半面調査をされたら一巻の終わりだが、兆を越える業績の企業にとって、アークの支払い等目にも止まらないほどのものだった様だ。

その少し前、犬鳴は星野と行きつけの雀荘で知り合った。3歳年下の星野は、初対面の時から犬鳴を気に入ったようで、或る日、ゲームを終えた犬鳴が帰ろうとしていたら、「犬鳴さん、ちょっと一杯やって行きませんか」と誘ってきた。犬鳴は、あまり長くやらず、大抵2~3時間で切り上げるようにしていた。夕方4時ぐらいから7時頃まで遊んで、その後は勝っても負けても歌舞伎町に飲みに行くのを日課にしていた。酒好きで遊び人の星野も雀荘に長っ尻しないところが犬鳴と似ていた。(ウンいいよ)犬鳴も二つ返事で応じたが、外に出た星野が歩いても5分とかからないはずなのに、タクシーを止めたのにはいささか驚いた。この日、居酒屋で下ごしらえした二人は、星野の「犬鳴さん、韓国クラブに行ったことありますか」という誘いで、彼の行きつけのクラブに行ったのだが、それまで、歌舞伎町は庭のように思っていた犬鳴は、生まれて初めてカンクラ(韓国クラブを略してそう言うらしい)を知り、同時に、星野の豪快な遊びっぷりを見せつけられた。-----