探偵物語 10

探偵日記 7月14日月曜日 晴れ

昨日は栃木県小山市のひととのやCCの月例の日。練習の結果も思わしくなく自信はなかったが、エントリーしていたので行く。前の日、阿佐ヶ谷駅前の焼肉レストラン「大門」で夕食をとった。生ビール1杯、焼酎の水割り3杯、そしてよせばいいのに、マッコリ3杯、帰り道、ラ・ボールに寄って、また焼酎を1杯飲んで、21時前に帰宅。すぐ寝たのだが、タイちゃんに起こされた朝4時過ぎ、二日酔の感じで調子が悪い。「30分ぐらいでいいわよ」と言われて散歩に出たが、今日に限って歩く歩く、出発の時間が有るので早く帰りたいのだが一向にその素振りを見せない。5時半、強引に引っぱって帰宅。大急ぎで顔を洗い車で出掛ける。ところが、ムカムカするうえ眠くなって朦朧として運転。高速に上がるとますます眠くなり、蛇行しては車に警告を出される始末。東北道に入ってたまらずサービスエリアへ。冷たいブラックコーヒーを買って飲む。

そんな調子で、コースに着いたのが25分前、着替えてマスター室の前に行くと、メンバーがカートに乗ってキャディとともに待っている。素振りもパッティングもしないままスタート。他の若い三人は青ティ、僕はシルバーティ、何となくきまりが悪いが青からやったら200ぐらい叩くんじゃあないか。と思う。ところが、上がってみると4人の中で僕が一番良いスコア。ネット70で三位入賞。優勝者は5アンダーだから、前日僕が予想したとおり85で回っていれば僕の優勝だった。(あそこのあれが)タラレバじゃあないけど悔やまれる結果だった。17時、帰りは調子よく運転して帰宅。すぐに食事に出て、またまた、よせばいいのに、魔の三角地帯にある天国に一番近いスナック「ほろよい」にひっかかり、0時前に帰宅。あぁ~疲れた。

探偵物語 10

僕が理事になった東京都調査業協会は、発足当時、日本調査業協会の事務所に同居していたが、やがて、千代田区神田岩本町で独立。昭和63年9月、主管を警察庁として、「社団法人日本調査業協会」が誕生した。この時、登録した業者は全国5000社余、しかし、首都東京は120社しか協会に入らなかった。ただ、時はバブルの真っ最中。我々業者も金回りの良い者が多く事務所を出す寄付金も難なく集まった。主管の言う、「基金として5千万円位は確保するように」というお達しもクリアした。この頃から3~4年が、まさに泡のような数年で、我が「帝國リサーチ」(新宿探偵事務所を改名し法人化した当時の社名、現在のティー・ディー・エーの前身)も、(飛ぶ鳥を落す)ほどの勢いだった。

空前のゴルフブームで、寄るとさわるとゴルフの話。おっちょこちょいの僕も勧められるまま、3コースの会員権を購入、数年後ただの紙切れになってしまった。当時僕が住んでいたマンションの前に、ちょっと小じゃれたスナックがあり常連となったが、その店で同じマンションに住むTさんと親しくなった。やがて僕の職業を知ったTさんが紹介してくれた会社がIカントリークラブで、一時期、上客となった。結局この会社は1200億円集めて倒産。大型詐欺事件として世間を賑わせた。。Tさんんは、悪名高い金融会社のナンバー2で、借金の形に取ったゴルフ場を20ばかり経営する子会社の社長も務めていた関係から、色んなコースへ連れて行って貰った。俗に、金貸しは取立てが生命と言われる。Tさんの取立ては巧妙で強引だったらしい。市ヶ谷にあった本社ビルの地下室に機関銃を据えてあり、お金を返さない債務者を連れてきて機関銃の前に座らせて脅していたらしい。ところが或る日、会社経営の債務者を脅していたら心臓発作を起こし倒れてしまった。慌てたTさんらは、大急ぎでニューオータニに部屋を取り、そこに医者を呼んだが翌日死亡した。「福ちゃん、あの時は参ったよ」などと面白おかしく話していたTさんんも平成4年、あっけなく死んでしまった。良きにつけ悪しきにつけ当時はおもろい人が多かった。---------------