探偵物語 9

探偵日記 7月12日 土曜日 晴れ

台風一過の昨日は清々しい晴天に恵まれた。気温は高かったが湿度が低かったせいで過ごしやすい一日だったと思う。今日も引き続きいい天気で、明日のゴルフは心配なさそうだ。9組36人で行う月例、シニアの僕は恥ずかしながらシルバーティからのプレー。ハンデ19なので、91で回ればパープレー。しかし、毎月優勝者は10アンダー以内となるので、僕が優勝するためには、85ぐらいが最低限の条件となろう。

探偵物語 9

痛みのせいでほとんど眠れず、12月28日の朝を迎えた。その日は御用納め、まあ探偵には関係ないがクリニックはまだやっているだろうか?靴が履けないのでスリッパでかかりつけのクリニックへ駆け込んだ。ドクターは一緒にゴルフもする人で親しい。僕の足を一瞥し、「これは一生の病気だ」なんて言いながら笑っている。(先生とにかく痛みが治まる薬を下さい)僕が哀願すると舌下錠をくれた。「痛風」聞いたことは有るがまさか自分が。と思った。4時間おきに飲むように言われたが、4時間後には痛みが治まっていた。ドクター曰く「とにかくビールを沢山飲んでおしっこを出しなさい。それから脂っこいものは食べないように。魚も赤身にしなさい。」と言われた僕は、それから3ヶ月、アルコールは一切やめ、好きなとんかつやカツ丼などやめて菜食一辺倒とした。今思うと、40歳で病気らしい病気に初めて遭遇したわけだが、後日、東京女子医大の通風センターに通院するようになって知った。通風にはビールが一番悪いことを。以後、時々発作がおきるが、アメリカでおきたときは苦労した。兄に紹介されたクリニックのドクターが酷いやつで、患部を見てOKOKと言いながら熱風を当てたりしたため余計酷くなり、とうとう車椅子で帰国する羽目になった。それから30年たった今でも毎朝1錠、尿酸を抑える薬を飲んでいる。

昭和61年、バブルの最盛期、新宿探偵事務所は順調に発展し、同時に、色んな同業者から誘いを受けるようになった。神田の武内探偵事務所、麹町の国際探偵事務所、池袋探偵事務所、などなど、だいたい、新宿探偵事務所と同じような規模の事務所で、「自分達の団体に入らないか」という誘いだった。ただ、当時の僕は一匹狼でいこう。と思っていたので誰とも交流を持たなかったが、1年後、ひょんなことから彼らと面識を持つことになり、以来、長年の付き合いになった。昭和62年春、日本調査業協会及び、東京都調査業協会が発足、これらに加盟すると共に理事にされ、以後、協会活動にのめりこむことになった。---------------------