探偵物語 14

探偵日記 7月18日金曜日 曇り

連日のご乱行のせいでいささか疲れているのかもしれない。昨日は18時半に阿佐ヶ谷の「海舟」という小料理屋で夕食を済ませ、その隣にあるカラオケスナック「喜美」で2~3曲歌って帰宅した。21時30分、ベッドで横になりそのまま眠ってしまったようで、夜中に目が覚めると携帯電話を握った状態だった。誰かにメールをしたのだろうか。まったく記憶が飛んでしまっている。
朝4時半、タイちゃんの散歩に出ると小雨が降っている。犬のほうも心得たもので、数十メートル先の高架下に走りこむ。面白くないのか、することをして25分ぐらいで帰宅。少しぐずぐずして、正午頃事務所へ。

探偵物語 14

第一秘密探偵社は半年ほどで辞め、晴れて独立を果たしたが、僕の存在等誰も知る由も無く、仕事はもっぱら東京探偵事務所や第一秘密探偵社等から回してもらって食いつないだ。すでに二人目の子供も生まれ、運よく当った多摩ニュータウンの団地で生活していた。京王線の聖蹟桜ヶ丘から神田までおよそ1時間かけて通勤。まだ26~7歳だった僕は、漲るような体力と頑丈な精神力で毎日精力的に働いていた。短期間で辞めはしたが、第一秘密探偵社にはしょっちゅう顔を出し、人相の悪い連中と花札三昧。夜になると彼らについて歌舞伎町に繰り出す毎日だった。第一秘密探偵社は、新田裏という信号の角にあった。現在、ラーメンの日清食品本社ビルが建っているところで、歌舞伎花道の入り口に当る。

そんな或る日、A所長から「明後日一日付き合ってくれ」と言われ、勿論即答で承知した。正装して来いと言われたその日、東中野にある寺に連れて行かれたが、なんと、その寺は山岡鉄舟のの菩提寺で、A所長ら右翼の重鎮が中心になって、「偲ぶ会」が開催された。何時もの連中が小さく見えるぐらいの大物も居て、お恐れながらそんな人達にも紹介された僕は、以来、すっかり右翼気取りになった。そんな中には、児玉誉士夫の一の子分と言われた「藤吉男」氏や、(維新は幻か)を書いた「中村武彦」氏、三島由紀夫氏の盾の会に所属し、市ヶ谷の自衛隊の事件の後、関西の有力な右翼に匿われいたという若い男も交じっていた。勿論、鉄舟の未亡人の姿もあり、後に、京都の花園大学の学長になった大森曹玄氏が参列者に挨拶した。中村武彦氏は現在、右翼の世界では神様扱いされるほどの大物になっている。

平成元年、調査員の不始末で住吉会土支田一家系の右翼団体「宏道連合」ともめた時、仲介してくれたのも、当時面識を得た「岸某」だったが、岸氏は彼らに思想教育を行っていた(大先生)だったので、話はすぐにまとまった。僕がこれまで(ヤクザも右翼も怖かあないよ)として生きてこれたのもこんな背景があったからかもしれない。ーーーーーーーーーー