探偵物語 13

探偵日記 7月17日木曜日 晴れ

昨日、沖縄班は帰りの飛行機が無く現地泊まり。しかし一応依頼人の希望する結果が出て一安心。
今朝は、昨日遅かったのでタイちゃんに起こされるまで熟睡。5時、眠い目をこすりながら散歩に出て1時間少々歩く。まだ帰りたくないと駄々をこねる我が家の皇太子を引っぱって帰宅。手を洗って水を飲み再びベッドへ。11時事務所へ。

探偵物語 13

神田の東京探偵事務所を辞めたあと、独立するまでのちょっとの間、新宿の「第一秘密探偵社」というところに弟子入りした。同事務所も小さな広告を出していたので名前は知っていた。某日、(あの~お宅で調査員を募集していませんか)と電話してみる。すると、ちょっと凄みのある声の男が出て「募集していないわけじゃあないが、経験あるの」と聞かれ(ハイ少々)と応えると「じゃあ、君がやった調査の報告書を持って来なさい」と言われ、明後日早速訪問した。東京探偵事務所で調査した(結婚調査)の報告書の控えを、固有名詞の箇所を消して持参した。行って見ると、東京探偵事務所より狭く、電話の男性と付録のようなおばさんが一人ぽつんと座っている。男性がA所長で他に誰も居ない。まさに一人一社、典型的な探偵事務所の姿である。僕が差し出した報告書を読んでいた所長が、「まあまあだね。じゃあ来るか」と言うので、(宜しくお願いします)と言って、そのまま所員となった。履歴書も無ければ給料の金額も言わない。全くいいかげんに就職が決まった。

事務所は暇で出勤してもやることがない。(他の事務所の様子が知りたい)そう思って入ってみたがこれでは勉強にならないな~。と思ったが、後年、この事務所とA所長を知った経験が、探偵として、もう一つ別の僕を形成した。A所長は花札が好きで、暇な時は僕を相手にコイコイという関東流のゲームをする。実は僕も花札に関してはプロ級で(笑)、そん所そこらの人には負けられないという自負を持っていた。但し、僕の花札は関西流の「六ぴゃっけん」というルールで、俗に言う、猪の鹿蝶や青たん、赤たん、三こう、四こうなど役の数が多い。そのうち、A所長の友人知人も大勢訪れ狭い事務所でわあわあ言いながら戦い、夕方になると歌舞伎町に繰り出すのが常だった。そうして、次第に判った事だが、A所長や友人らは、児玉誉士夫に繋がる歴とした右翼で、酔うと必ず喧嘩する。いずれも右翼思想にこり固まった面々で、腕にも自信が有るのだろう小料理屋の座敷で取っ組み合いになることもしばしばだった。

そんな頃の話だが、それらの一人が武勇伝を話してくれた。三井不動産が霞ヶ関に36階建てのビルを建設したが、彼は着流しで三井の本社に赴き「恐れ多くも天皇陛下がお住まいになられる皇居を見下ろすような建物を建設するとは誠にけしからん」と難癖をつけ、当時のお金で500万円せしめたらしい。これは立派な恐喝である。三井不動産が訴えれば3年は刑務所暮らしとなろう。ところが、社長の江戸英雄は右翼の思いを理解したようで、事件にもならずめでたく霞ヶ関ビルが誕生した次第である。犯罪を正当化するわけではないが、右翼の牢人や江戸社長のように、この頃はまだ豪傑がいた。--------------