探偵日記 7月22日火曜日 晴れ
今日から暫くは晴天が続くようで、後数日で梅雨明けとなろう。今日は、事務の高ちゃんがお休みなので朝食を摂ってすぐに支度をし、9時半過ぎ事務所に着いた。高ちゃんは社会保険労務士を目指し、8月の試験に備えて猛勉強中。女性も目的を持って資格を得ることはいいことだ。昔の人は(芸は身を助ける不幸せ)などと言ったが、現代の社会では通用しない言葉かもしれない。とはいっても、美空ひばり、都はるみなどを筆頭に、一芸に秀でた彼女達が女性として幸せだったのか疑問が残る。ただ、何を持って幸せか。その人によって価値観が違うように、他人がとやかく言うことでもあるまい。しかし、父親としては、娘が「先生」と呼ばれるよりも、普通の結婚をして円満な家庭を築いてくれるほうが安心できる。仮に夫が「探偵」だとしても。
探偵物語 16
大阪から来たという婦人は本当の依頼人ではなく、「あの~娘が変な人たちにつきまとわれて困っていまして、その~そんな調査もしていただけますか」何だか回りくどい言い方ながら、僕の事務所に来た理由が娘の希望であることは判った。色々、困っている状況を聞いて「是非娘と会ってくれませんか」というので勿論承知した。母親は、「お母さん、探偵社に行く所を誰にも見られちゃあだめよ」と言われていたので、先ほどの、看板云々となったようだ。それでは、というわけで事務所の電話から娘の部屋に電話をかけてもらい、面談の約束をとる。話してて少し変だな。と思ったが母親の前で口に出来ず翌日待ち合わせの場所に赴いた。
明治通りを池袋方面に向かい、都電の(学習院下)停留所の信号を左に曲がる。大塚製薬の脇を通り山手線の線路に突き当たる手前の路上。これが依頼人の指定した場所だった。「車で来て下さい」と言われ、約束の時間少し前に着く。人通りの無い場所で待っていると、目白駅方面から来たと思われる女性がトンネルの手前を右折してやってきた。(ああ、あの人だな)と思った僕は、車から降りてその人のほうを見やって合図した。昨日電話で話した探偵と悟った依頼人は、足早に車に近づき、素早い動作で後部座席にすべり込んだ。(初めまして)と言って名刺を渡す。しかし名刺は受け取ったものの黙りこくっている。痺れを切らした僕が何か言おうとすると、依頼人は僕の口を封じるように紙片を差し出してきた。読んでみると「誰かに聞かれています声を出さないで下さい」と書いてある。はは~んあれだな。僕は依頼人が精神的に病んでいる事を悟ったが、同時にがっかりした。探偵の仕事にならないからである。しかし、昨日母親から「少し変なことを言っても反論せず聞いてやって下さい」と言われていたので、その紙片に(じゃあ車を走らせますので高速に上がったらお話しましょう)とか書いて渡すと、依頼人はニッコリ笑って頷いた。
依頼人は今風に言うと今井美穂的な美人で、母親の言っていたとおり、いかにも国立大を卒業したらしい知性も感じられた。ただ、それから先、言うことは裏腹な、とても常識では考えられないようなことばかりで、(被害妄想)の典型的な症状だった。新宿から環状線を1時間ぐらい走ったところで、僕のほうが音を上げてしまった。------------------