探偵日記 12月05日土曜日 晴れ
何時ものように朝練に行き、少し休んで事務所に来た。15時に新しいご依頼人が来所の予定。怒涛のように入った仕事も何となく解決してゆく。我が事務所の調査員達は優秀なのかもしれない。昨日、探偵学校を卒業して夫婦で開業している人と会った。45年前、神田駅前で事務所を持って、どうなることやらと不安な気持ちで過ごした数年間を思い出した。その後、僕が(これで何とか一生食っていけそうだ)と、自信を持ったのは独立してから十数年経った頃だった。田中角栄首相が打ち出した列島改造ブーム、その後に訪れたバブル景気など、いい時期を経験した僕は運が良かったと思う。それに引き換えこれから独立する彼らはかなりの困難が予想される。僕の若い頃は、住民票や戸籍などの公簿が取り放題だったし、都庁で閲覧する業者登録など無料だったのに、最近は一件300円かかる。内偵調査には(個人情報保護法)が立ちはだかり身元調査など非常に困難である。しかし、だからこそ情報の価値も上がるわけで、簡単に言うと(高く売れる)ことになる。「探偵」という職業をどう捉えるか。各々異なるだろうが、志は捨てないで頑張ってもらいたいと、心よりそう思う。
おもろい探偵たち その 4)ドロボー探偵D 1-5
周囲の好意のお陰で晴れて拘置所を出たDは、翌日、はにかんだ顔で出社してきた。「どうもご迷惑をお掛けしました。」責任者は(もう二度と馬鹿なことはしないと約束できるか)と、きつく念押しをして復職させた。まだ探偵業法が施行される前のことだった。調査員の中には(Dと一緒に仕事をしたくない)と言う者もいたが責任者は受け付けなかった。ドロボーは勿論良くないが、誰にでも一度や二度の過ちはある。まあ、そんな綺麗ごとばかり言っていられる商売じゃあない。Dには5人の子供もいるんだから立ち直ってもらいたい。という気持ちも責任者にはあったようだ。出所祝いではないが、皆で食事会を催したりして更生を期待したものだった。ところが、
ものの1年も経っただろうか、或る日突然Dと連絡が取れなくなった。(まずいな)責任者をはじめ誰もがそう思っていたら、今度はR署に逮捕されたことが分った。若い妻のお腹には6人目の子が宿っていたという。優しい同僚は面会にいったりしたが、責任者は一度も行かず素早く懲戒免職にした。執行猶予期間中の同類の犯行であり実刑は免れないと判断したし、懇意にしている刑事にも「クスリと窃盗犯には温情をかけても無駄だよ」と言われたし、その通りだと肝に命じた。結局、Dは2年8ヶ月の実刑判決を受け熊本刑務所に服役した。まあ真面目に過ごしたのだろう。2年ちょっとで仮釈放され出所。何食わぬ顔で事務所にやってきたが、1ヶ月も経たない時、再び音信普通になった。もう事務所の誰も心配せず、その後も噂にも上らなくなった。Dは、今度はどこの刑務所に行ったのか、もうこれで一生ドロボー稼業で人生を終えるのだろうか。-------------