探偵日記

探偵日記 1月17日土曜日 晴れ

今朝はタイちゃんの散歩が免除される日で6時起床。すぐに支度をして、埼玉県新座市にあるゴルフ練習場へ行く。勿論明日のサンサン会のため。サンドウエッジからドライバーまで、1時間あまり振って9時過ぎに帰宅。朝食は途中のジョナサンですませたので、シャワーを使い事務所へ。昨日に引き続き好天、あすも今日みたいなら言うことなし。練習ではミスが見つからず困った。(笑)

新宿・犬鳴探偵事務所 2-3

 冗談ともつかない井口夫人の言葉を聞き、犬鳴は思案した。といっても、返事を渋ったわけではなく、鸚鵡返しに(有難うございます)と、お礼ともとれる極めて曖昧な対応をした。井口夫人が大層酔っているわけではない。ましてや、犬鳴をからかっているとも思えない。しかし、と、犬鳴は考えた。確かに目の前に座っている極々普通のおばさんはかなりの資産家である。夫はいるが家計を握っているのは紛れもなく夫人だ。しかも、かなり自由に使える。僅か数ヶ月の付き合いだが、夫人が言ったように、好意を持たれているのもそのとおりであろう。だけど、じゃあ、どの程度の額を想像しているのか、また、お金を出してもらったら事務所のことにも色々注文をつけてくるかもしれない。

 犬鳴は、その間、雑談で座を取り繕い、次に云った夫人の「私は本当に心配してるのよ事務所の狭さを。僅かなお金であんたを縛るつもりもないから」という言葉で(よし、乗ってみよう)と決心した。(奥さん、おっしゃるように確かに不便は感じています。だけど僕の仕事は収入が安定しません。そりゃあ、一年が終わってみればほどほどの売り上げは出来ているし、ならせば何とかやっていけてます。だけど、僕は奥さんに何もお返しするものがありません。)「だから言ってるじゃない、私は何も要求しないって、ワンちゃん案外気が小さいのね」「まあ、私はワンちゃんのそういうところが好きなんだけど」と言って笑う。

 その時、犬鳴に実感はなかったが時はバブルの真最中。仮に、新宿で三十坪程度の事務所を借りようとしたら数千万円はかかるだろう。犬鳴は再び、目の前の井口夫人がどの位の資金を考えているのか、もし、一億円って云ったら何と云うだろうか。勿論駆け引きするという気持ちではない。仮に、この話が冗談で終わっても、ここまで親しくなった依頼人と険悪な関係になりたくなかった。夫人は僕を、仕事の面で信用しているし、一人の人間として、普通以上の好意を持ってくれている。

 犬鳴は話題を変えて、こんなことを言ってみた。(僕の父親は終戦後満州から引き上げてきたんだけど、日本軍の隠匿物資を処分してかなりのお金を持ち帰ったのに、一年も高級料亭に居続け全部使ってしまったらしい。少しでもいいから西口の土地でも買っておいてくれたらって思います)そのあとひとしきり、とにかく下戸のくせして無類の女好きだった父の、悪口とも回顧ともつかない感じで、笑い話のように云って、夫人の感想を待ってみた。すると、井口夫人は「そうよね~。ワンちゃん、昔、角筈って言ってた頃、大きな浄水場が有ったのを知ってる?私の父があそこら辺りの土地を買い占めててね、最近地上げ屋さんがやいのやいのって云って来るから煩くて仕方ないのよ。ああそうだ、どうしても断れない筋から頼まれて少しだけ売ることにしたんだけど、ワンちゃんそれ使う?」と言う。角筈は古い地名で、現在、その場所は新宿西口公園になり、住居表示は、西新宿二丁目。その角にある交番の斜め前にある土地五百坪を売却するという。
一坪八百万円として、四百億円。税金を差し引いてもその半分を夫人は手にする計算になる。それを使えと言っている。犬鳴は内心仰天したが、最近、そんな大きい話だけは嫌というほど聞いている。身近なところでも、友人の所有するマンションが、購入した時の価格の五倍で売れたらしい。最初、不動産業者から(売ってくれませんか)と、売買価格を聞いた友人は「からかわれているのかと思ったよ」と言っていた。犬鳴も、このおばさん、もしかしたら少し変なのかな。なんて思ったが、(いえ、そんな大きなお金は必要ありません一億円も有ればお釣りがきます。ところで、奥さんのほうで場所の希望はありますか?いらっして頂くのに都合の良いところがいいでしょう)「ううん、私は何処でもいいわよ、どうせ小田急線で新宿まで来るんだから、まあ、駅に近いほうがワンちゃんにとってもいいんじゃあない」
この日のこんなやり取りで、犬鳴探偵事務所の移転は決まった。場所は新宿駅周辺、電話番号が変らないところ。が、第一条件で、規模は三十坪以上。ところが、仲介の不動産会社が思いもよらぬ注文をつけてきた。