探偵日記

探偵日記 1月19日月曜日 晴れ

昨日のサンサン会、出だしは良かったが昼食の時少々飲みすぎたのが災いしたか大崩れしてしまった。グロスは優勝者と同じ数字だったがハンデ差で着外に。握りも(取らぬ狸の皮算用)で、数千円の負けとなった。阿佐ヶ谷に帰って、パーティまで1時間あったので駅前のパチンコ店へ。年に何度もしないパチンコだが、6500円使ったところで確変になり8連ちゃん。時給30,000円余りのいいバイトになった。(笑)

今日は、金曜日に行った定期検診の結果を聞きにクリニックへ。11,12月と頗る良かった数字が若干上昇していたが、これは想定内。また少し酒を控えよう。11時前に事務所へ。


新宿・犬鳴探偵事務所 2-4

 仲介業者から「物件を見てくれ」と言われてもう何ヶ所も見た。その中で犬鳴が気に入ったものがあれば、申込書を提出し、ときにはビルのオーナーと面接もした。しかし、そのいずれもことごとく断られた。理由は(探偵という業種が悪い)のだという。

 数年前から犬鳴のところに知らない探偵社から頻繁に手紙が来るようになった。何だろう?と思って読んで見ると、自分たち仲間で作っている協会に入れという内容で、どうやら我が国には三つの業界団体が出来ているようで、「日本探偵協会」「日本総合探偵社協会」「全国探偵協会」など、みな似たような名称で同業者を募っていた。今までは、群れることを嫌って見向きもしなかった犬鳴だが、何となく、(彼らはどんな連中で、どのような仕事をしているのだろうか)という興味が湧いた。
そんな或る日、犬鳴が独立する前、ちょっとの間勤務した探偵事務所の元同僚で、千代田区一番町に事務所を構えている柏原という男が、「ワンちゃん、東京都調査業協会ってえのが出来るらしい。説明会があるから一緒に行って見ないか」と、誘ってきた。ちょうど暇をもてあましていたところで、(いいよ)と応じると。「じゃこれから行こう」と言う。柏原が言うには、今日の午後1時に初会合が開かれるらしい。(随分急だな)と思ったが、そういえばそんな内容の案内状が来ていたことを思い出し、柏原に同行した。皇居に近い半蔵門会館にその会場はあった。二人が顔を出すと、すでに4,50人くらい来ていただろうか、中には何となく見知った顔や、社名だけは聞いたことのある事務所の責任者も交じっていた。柏原は少し前から関わっていたようで、新参の犬鳴を皆に紹介してくれた。驚いたことに、それらの人たちのほとんどが、犬鳴の事務所を知っていて、中には、「あの有名な犬鳴さんですか」などと言いながら握手を求めて来る者もいた。犬鳴も他愛ないもので、(宜しくお願い致します)と言って、すぐに入会の書類にサインした。

 そうこうするうちに、警視庁(東京都は警視庁の指導を受けるらしい)が関わってきた。担当官の(場合によっては業法を作ってやるからまとまりなさい。)と、指導を受けていたらしく、この日の会合は、重要議題の一つに、協会設立に向けての役員選出があり、池袋に事務所を持つ本沢の推薦で、柏原と犬鳴は理事に就任した。

この少し前、やはり警察庁の指導で、全国の三団体がまとまり、日本調査業協会が発足し、本部事務所を千代田区飯田橋に置いていた。この日スタートした「東京都調査業協会」は、下部組織の一つとして、当面、日本調査業協会の事務所に居候することが決まった。日本は、元、丸の内警察署長の木村正一氏、東京は、渋谷区千駄ヶ谷の探偵社テイタンの社長、廣島澄雄氏が就任した。
まさに、業界が一気に「正業」として認知されようと、清浄化への努力している時期であった。しかし、世間の(何となく胡散臭い職業)という差別は根強く、四大新聞は探偵社の募集広告の掲載を拒否、犬鳴のように事務所を借りようとしてもことごとくノーと言われる有様だった。困り果てた犬鳴は、その頃には、三日にあげず事務所に顔を出していた井口夫人に事情を説明すると、「じゃあ、私がやってるブティックの会社名義で借りよう。借りてしまえばこっちのものよ」と、アドバイスされた。そのまま正直に不動産屋に告げると、「あぁ良かった。それなら問題ありません。借りた後、看板を変えればいいんですよ」と、こちらも乱暴である。そんな経緯を経て、晴れて事務所移転の準備が整った。新しい事務所は新宿二丁目、新築で、まだコンクリートがむき出しになっているビルの四階ワンフロアー。35坪を、敷金2400万円、家賃80万円で契約、「日本一の探偵社をめざしなさい」と言う井口夫人の言葉に応え、床に極上の絨毯を敷き、犬鳴の机や本棚、調査員の机や椅子に至るまで、当時、高級家具を扱っていた小田急ハルクで揃え、終わってみれば、ゆうに、5000万円を要した。
        

 昭和61年2月、ビルの完成とともに犬鳴の事務所も入居。某日、関係者を呼んで事務所開きを催す。勿論、井口夫人にも参加してもらったが、夫人の(特別扱いしないで)という希望通り、片隅にちょこんと座ってもらった。主賓は、顧問弁護士や、調査業協会の幹部、そのほか、柏原等の元同僚や仲間、それに、これまで犬鳴探偵事務所で修行し、独立している東京都内の探偵事務所の所長らが馳せ参じ、35坪の事務所は一杯になった。犬鳴は、(内装等をしていた時、随分広いなあ。と思っていたが、いざ入居してみればさほどでもないな)と感じながら、余念なく挨拶して回った。
新しい事務所は、新宿通りから少し入ったところにあり、JR新宿駅から歩いて5分、地下鉄「新宿三丁目」駅から2、3分、伊勢丹からも近かった。中に入ると美しい曲線をもった受付カウンターがあり、事務の高子と、最近採用した経理を兼任する女子事務員がにこやかに座っている。パーテションの向こうが調査員らの部屋で、真新しい机が並びこれも新品の書類棚があって、全国各地の電話帳や、都内及び近県都市の住宅地図がびっしりと納まっている。その向こうが、犬鳴の部屋になっていて、オークル色の重厚な感じの机と、いかにも高そうな応接セットが、来客の目を引いた。
業界全体としては、警察庁の発表で、全国の興信所や探偵事務所が、およそ五千社といわれた。首都東京が600社余、しかしこの数字はにわかに信じがたいものといえた。実態はもっとある。とも云えるし、そんなに有るだろうか?とも思えた。というのも、大体、探偵事務所は、一人ないし数人で営むものが多い。大都会の東京ですらそうなのだから地方に行くとその傾向がさらに強く、例えば、クリーニング店の主人が、探偵にかぶれて、二束の草鞋を履いている。なんてことは良く見られる現象で、逆に、東京などは、一社がダミー会社を数社作って、広告合戦を展開していた。そんな実情もあって、お役人が机上で調べた数字は実態にそくしていない。少なくとも犬鳴はそう思っていた。

移転に伴い事務所開きを催したことで、犬鳴探偵事務所の評価はいやがうえにも上昇し、協会内で、最大手の事務所といわれるようになった。というのも、事務所の移転を決めた犬鳴は、同時に、調査員の募集も行い、この日は、新しく採用した調査員や事務など、総勢26人のスタッフが彼らを迎えたからである。さらに、日本調査業協会の木村会長が全国の会合等で宣伝してくれたため、調査の必要があって、遠く鹿児島の同業者に電話して(東京の犬鳴ですが)と言っただけですぐに通じたし、中にはわざわざ上京した折に挨拶に来てくれる人も居た。ちょうどその頃、アメリカ西海岸のロサンジェルス市警のOBで、かの地で探偵事務所を経営している人物と面識が出来、その探偵事務所と提携したほか、韓国の、これも元警察官上がりが営む調査会社とも相互調査を行う契約が成立した。

時はバブルの真只中、ひっきりなしに入ってくる調査依頼に多忙を極めていた犬鳴探偵事務所に、或る日、こんな依頼が舞い込んだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーー