探偵日記 1月20日火曜日 晴れ
寒い日が続くが冬だから仕方ない。でも何となく萎縮して、風も強いので今日は車で出勤した。広島から連絡が入る。昨日は特別な動きはなかったという。金土日と逢えない恋人同士が4日ぶりに会わないだろうか?妻の思い違いか。でもまあ、1日ぐらいでは分らない。調査日数は6日間貰っている。今日からの変化を期待したい。
新宿・犬鳴探偵事務所 2-5
真新しい事務室とマイルーム、ピカピカの机にも馴れた頃、職業別電話帳(最近はタウンページという)の広告を見たという女性から「調査をお願いしたい」という電話が入った。この頃犬鳴の事務所でも電話帳に小さな広告を出していた。何しろNTTの電話帳広告は、掲載料金がバカ高い。仮に、1ページの広告を出すと無色で毎100万円以上かかった。ただ、宣伝効果は抜群で、仮に半ページの広告を出せば、調査員5,6名を採用できるぐらいの仕事は入った。昭和50年に入ると、関西の業者が東京に進出し、初めて1ページ広告を打って来た。すると、我も我もとばかりに競って大量の広告を出すようになり、半ページとか、4分の1の広告では何の意味も無くなっていた。最近犬鳴が入会し、理事になっている「東京都調査業協会」の最大の懸案事項が、対関西の業者の広告問題で、協会では、(一社1ページ)という、旧日本電電公社時代の決まりを守るよう抗ってみたが、(銭は汚く儲けて綺麗に使うんや)というポリシーの大阪商人には遂に理解を得られなかった。
在京の業者の中にも対抗上5ページ10ページと大量の広告を出してくる者もいて、まさに、仁義無き広告合戦が繰り広げられた時代であった。ウソかと思う読者もいるだろうが或る探偵事務所は年間30億円近い広告料をNTTに支払っていた。その結果、技術や機動力の劣る探偵事務所に、怒涛のごとく仕事が入った。当然ながら質の良い調査は出来ない。中途半端な報告をされた依頼人が泣きを見る。そんな無茶苦茶な業界でもあり、警察庁も見るに見かねて(法律)を作ってやらなければ。と、考え始めたようだった。しかし、当時の犬鳴探偵事務所は、都内の法律事務所や口コミで訪れる依頼人で十分潤っていたので、常識的な範囲で宣伝広告を行っていた。
電話の女性が「今からでも良いか」と言うので、犬鳴は午後1時の約束をして事務所で待つことにした。仕事の無い者や、調査を終えて帰社していた者が数人事務所にいて、みんなを連れてランチに行き、戻って来た時、タイミング良く、くだんの依頼人から電話が入り、「今、新宿通りの四谷四丁目に居るが何処を曲がれば良いか」と言う。事務の高子が丁寧に教え、電話を切った後、(声の感じではまだ若そうです)と言ったものだから、調査員らは盛り上がって、窓にへばりつき、(あ、あれかな)なんて、通行人の女性を見ては歓声を上げている。その時、新宿通りから白いベンツが右折して事務所のほうに向かってきた。まさかそんな高級車で若い女性が来るとは思わないのか調査員らは気にも留めていない。犬鳴も、(まあ違うだろう)と思っていると、まだ三十前か、素晴らしくスタイルの良い美人が事務所の前に停めたベンツから降りてきた。事務所の横に有名なうなぎ屋があり、そこにでも来たのだろうと思っていると、まもなく受付で(いらしゃいませ)と言う高子の声が聞こえた。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー