探偵日記 1月21日水曜日 雨
日曜日、ゴルフの日、こちらの都合でまだ寝ているタイちゃんを起こして散歩させたためか、以来、早起きになって、今朝は4時半ぐらいからドアの向こうで鼻を鳴らしている。仕方なく起きて、5時前外に出た。お腹も空いていたのだろう35分ほどで帰宅。そのあと少し横になって、8時に朝食をすませて早々に出る。10時、事務所着。外に出ると霙のような水滴が顔にかかった。今日はこれから本降りになるのだろうか、張り込み中の調査員のことが気にかかる。真冬の張込は辛い。しかし、長時間かけて結果が出れば探偵冥利に尽きる。ガンバレ。
新宿・犬鳴探偵事務所 3
色白で身につけている服のセンスも良く、顔はアイドル系の可愛い美人である。ベンツを乗り回していることからもセレブな女性と思われる。大会社の社長令嬢か、収入の良い夫を持つ主婦か。その答えはすぐに出た。依頼人はソファに座って、犬鳴が名刺を出す間もなく「夫の尾行をお願いしたいんだけど」と、性急に用件を切り出す。犬鳴が(かしこまりました。ご主人はどんなご様子ですか)と聞くと、顔に似合わない蓮っ葉な物言いで、「あのバカ亭主看護婦を孕まして、うちにも二人子供がいるっていうのに、それがね~所長さん、凄い女なのよ。牛がヘアーをソバージュしたような顔をしてるくせに、家に押しかけて来て、私に出て行けって云うんだよ」だんだん興奮してきてべらんめぇ口調になってきた。
依頼人の夫は医者であることが分った。そして不倫相手が同じ病院の看護婦であること。家に来たと言っているから相手のこともある程度分っているのだろう。犬鳴は問うた。(色々なことをご存知のようですが、こちらで何をすればいいんですか、その女性との関係をご主人も認めているんでしょう)と。すると、依頼人は「だからさ~バカ亭主も怖がってあの女から逃げ回っているって云うけど本当かどうか、亭主は絶対にもう会ってないって言うんだよ。職場が一緒だし何するか分んないからさ~」要するに、もう別れたと言いながら、ソバージュパーマをかけた牛みたいな看護婦とこっそり会っているんじゃあないかと疑っているのである。夫の勤務する病院はK大学付属病院。依頼人は、勝ち誇ったように「あんたのところから近いからやりやすいでしょう」とおっしゃる。(分りました。私のほうは何時からでも着手できますがどうなさいますか)犬鳴が云うと、「今日からすぐ行動して。ハイ、とりあえずこれ着手金」と言って、帯の付いた百万円を投げるようによこした。
当時はまだ探偵業法も出来ておらず、調査を引き受けるに当って面倒臭い手続きは必要なかった。それでも犬鳴が(お申し込み書ですが)と言って、用紙を出したら「そんな面倒臭いことはなしにして、調査料はいくらかかってかまわない」と言う。犬鳴は、我儘で気の強い奥さんだな~と思ったが、おそらく気持ちも動転しているのだろう。子供の頃から何不自由なく育てられただろうし、自分の美貌にも自信がある。まさか夫が浮気なんかするとは、微塵にも思わなかった。ところに、牛のソバージュ女が現れ(奥さんまだ家に居るの、貴方のご主人の愛は私のもので、もう貴女には無いのよ。無駄な抵抗はやめて、子供を連れてさっさと出て行きなさい)と言ったものだから、怒り心頭に達し、犬鳴探偵事務所に駆け込んだものらしかった。
しかし、この看護婦さんも凄い人である。妻子のある男性と深い関係になった女性は、たいていひっそりと暮らし、自分の存在をひた隠す。何故ならば、男性の奥さんに知られた時が二人の別離の時だからである。でも、それは犬鳴の古い考えであって、最近の女性は我慢しないらしい。それにしても男性の家に押しかけ、正妻に向かって出て行けは無いだろう。またある時は、休日に家族揃って出かけようとしていたところに現れ、助手席に乗っていた依頼人を、(そこは私の席だから)と大声で叫び、引き摺り下ろそうとしたらしい。ーーーーーーーーーーーー