探偵日記

探偵日記 2月26日木曜日 雨

散歩の時は降っていなかった雨も、僕が家を出る頃には本降りになっていた。毎回書くようだが、僕は雨が大嫌いである。したがって、今日もグズグズしていたら11時過ぎになってしまった。慌ててくるまで家を出る。昨夜は、久しぶりに新宿のお寿司屋さん「八方」に行く。花板も若いマスターも大喜びして歓待してくれた。相変らず美味しく、一時、至福の時間が持てた。

新宿・犬鳴探偵事務所 6-5

 平成2年、事務所の勢いは止まらず、犬鳴は毎日のように調査報酬の集金をしていた。当時は、個人も企業もほとんど手渡しで、銀行振り込みは滅多に無かった。或る時、事務の高ちゃんが依頼人と銀行で待ち合わせして、現金で五千万円集金したことがあった。ちょうどその翌日、犬鳴事務所主催のゴルフコンペが予定されていて、コースのある山中湖のホテルで、前夜祭を催すことになっていた。さあ、集金したお金をどうするか。時刻は午後四時になっていた。犬鳴は、みんなを待たせて新宿駅前のF銀行のATMで入金したが、えらく時間がかかったことを覚えている。遠い昔、そんな夢みたいなことがあったが、あれから二十年以上経つ、我が故郷のアベちゃんがいくら頑張ってももうそんな日は来ないだろう。

 実はその当日、数年前から犬鳴事務所と顧問契約を結んでいた或る会社から呼ばれ、社長と面談したが、調査の内容は極めて特殊なもので、(数ヶ月後に迫っている衆議院選に立候補している某二世議員に関するものだった)本当の依頼人は、その選挙区のライバル議員で、敵対する議員やその陣営の(何でもいいから瑕疵を探せ)と、当時飛ぶ鳥さえ落とすと言われるぐらい急成長した会社の社長が言う。「犬鳴クン、費用はいくらかかっても良い」と。
一年に数回開催していたゴルフコンペも終わった翌週、調査部長の池辺と綿密に打ち合わせして、二世議員に対する特殊実態調査が開始された。マルヒの自宅は素晴らしく立派で、現地を下見した犬鳴は大きな溜息をついた。その頃の犬鳴は練馬方面の公団に住んでいた。ちょうど、当時、事務所の最大の顧客である不動産会社の社長が、たまたまその会社を訪問していた時、専務を呼びつけ、「犬鳴クンは団地に住んでいるらしい。奥さんが可哀想だからあれをプレゼントしたまえ」と言って、団地に近い住宅(確か四億円ほどのものだった)を呉れようとした時期だった。犬鳴は(本当かな?)と思っていたが、結局その不動産会社は翌平成三年倒産したため、犬鳴の儚い夢は叶わなかったのだが。

 調査は短期間で終了した。池辺も犬鳴もなぜだろうと訝しく思ったが、遂に理由は分らずじまいだった。ただ一つ考えられることは、真の依頼人が(怖がった)ことかもしれなかった。今でも犬鳴は思うが、当時の犬鳴探偵事務所は優秀だった。依頼人が(ウ~ン)と唸る場面が良くあったものだ。昔は、依頼人も素朴で可愛かった。探偵にしてみれば朝飯前のような調査結果でも「良くこんなことが分かりましたね」と、こっちが恥ずかしくなるぐらい大仰に褒めてくれた。そんな時犬鳴は(有難うございます)とか、(恐縮です)と言って頭を下げていたが、探偵冥利につきた。調査費用は、最初に総額を設定する方法と、調査の推移によって増減する決め方がある。また、着手金プラス成功報酬という決めもあり、調査をしてもただ働きになることもあった。例えば、所在調査(家出人の捜索など)など、場合によっては着手金はなしで、そのかわり発見したらいくら。という約束で行う。したがって、見つけられなければ報酬の請求が出来ない。二世議員が対象だった本件の調査は、依頼人が「費用のことは心配するな」といって、着手金も当時の犬鳴探偵事務所の1ヶ月分の経費相当を貰っていた。しかし、どんなに良い情報を得たとしても選挙が終われば価値が無くなるもので、いわば、短期決戦だった。

 連日尾行を行い、そのほか、特殊な工作もした。その結果、マルヒに愛人が存在する事実が判明したが、その過程で、思わぬ情報を掴んだ。すでに国会議員だったマルヒが、地元の企業から多額の資金援助を受けていることや、見返りに、その企業の有利になるような動きをしている事実を把握した。そして、その裏づけとなるマルヒらの会話をテープに収めたのである。間に入って、犬鳴に調査依頼した社長にテープを渡した翌日、社長から、突然、調査の打ち切りを告げられたのだった。だから、犬鳴は本当の依頼人があのテープを聞いた結果、調査中止に至ったのだと思った。社長も「理由はよく分らないが、とにかく早急に調査をやめて欲しいってさ」というばかりで、しきりに申しわけながった。選挙の結果は、マルヒがトップ当選し、多分この人が本当の依頼人だろうと思っていた人物は落選した。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー