探偵日記

探偵日記 1月8日木曜日 晴れ

今日から本格的に仕事始めのような気がする。散歩を終えて朝食をすませ家を出る。10時過ぎに事務所着。僕が出社したことをどこかで見ていたように依頼人から電話が入る。一つは、「何時頃判りますか」という催促。いつでもいいからゆっくりやっていい。と言っていたのに、やはり頼んで以上気になるのが依頼人の常である。もう一つは午後面談の約束をする。こちらは色々と複雑な問題があり電話ではすまない。夜の予定も有って今日は麻雀はお休み。(笑)

新宿・犬鳴探偵事務所 1~3

犬鳴吾朗が今の場所に事務所を移したのは昭和61年2月、まさにバブルの真っ最中だったが、犬鳴には実感としてピンと来なかった。独立から十数年を経て、何となく自信みたいなものが芽生えてきた頃でも有ったが、思い返せばそれだけ良い時期だったということで、犬鳴の腕がよくなったとか、事務所のネームバリューが上がったとかではない。単に周囲の環境、特に、我が国の経済状況が好転したにすぎない。しかし、収入は右肩上がりで使っても使っても使い切れないぐらい入金があり、当時は振込みは少なく概ね手渡しで集金していたので、多いときには月に50回ぐらい何処かでかなりの金額を受け取っていたことになる。事務所の女帝恵美子女史が、ある主婦から集金した5000万円入った紙袋を重そうに持って帰ってきたのもこの頃であった。

山陰地方の寂れた漁村から出てきた犬鳴は、これといった人脈も誇れるような技能も持ち合わせてはいなかったが、小柄な体格に似合わず腕っ節は滅法強かった。犬鳴自身常々、(喧嘩は気合だ)と思っていた。だから、そんな場面では、相手が大男だろうがヤクザだろうが怯むことなく言いたいことを言い、(何時でも相手になってやるぞ)という気概を見せ対峙した。誰でも喧嘩は怖いものだ。したがって、相手の方も小柄だがやたらと声の大きい犬鳴の器量を測りかねる。そこがみそで、滅多に殴り合いの喧嘩に発展することは無かった。加えて、犬鳴には少なからず(人に好かれる)要素もあり、喧嘩相手とその後長く付き合うことも珍しくなかった。ただ、経済観念は乏しく、貯蓄というものをしたことが無い。(ポケットに有るお金は全部使う)長年事務所を手伝ってくれた犬鳴の姉は「あんたの人生はキリギリスみたい」と苦言を呈していた。

平成元年、詳しくは昭和64年一月、昭和天皇崩御により年号が変わり、時の官房長官小渕恵三がテレビで、(平成)と書かれた白い紙を頭上に掲げ、(新しい年号が決まりました)と言ったのが二丁目に事務所を構えて3年目のことだったが、日本経済の好況は衰えることなく続いていたし、この先もずっと続くと思っていた。---------