探偵日記 1月9日金曜日 晴れ
今日も寒い朝だった。昨夜ちょっと遅くまで飲んだので、5時のアラームで目は覚めたもののすぐに起き上がれずぐずぐずしていたら、ドアの向こうでタイちゃんが騒ぎ始めたので仕方なく支度をして外に出る。実を言うと、早朝の外気はそれほど寒くは感じない。歩いてゆくうちに段々寒くなってくる。何故だろうと考えてみる。起きてすぐは暖かい布団で保温されている体温が残っているからなのかもしれない。或いは、前日の地熱がこの頃まで残っているのか?一度、気象庁が発表する最低気温の計測時間を調べてみよう。等と下らない事を考えているうち1時間の散歩が終わった。少しゆっくりしてお昼前に事務所へ。
新宿・犬鳴探偵事務所 1-4
一匹狼を気取り、少し前まで僅か5坪半のワンルームを事務所にしていた。留守番の女子事務員を一人置き、調査の依頼が入ると大概は一人でこなし、どうしても助手が必要な時は、嫌がる事務の女の子を拝み倒して現場に立たせた。それでもだめな時は、昔勤めた探偵事務所の元同僚に助けてもらっていた。といっても、犬鳴が特別ケチというわけではない。むしろ、気前のいいほうで、仲間と飲みに行けば必ず犬鳴が勘定を持ったし、貧乏なくせに見栄っ張りの犬鳴は毎日のように歌舞伎町界隈を飲み歩く。バーやクラブの女の子たちの間では人気者で、そんな彼は周囲から(ワンちゃん)と呼ばれていた。
昭和60年春。貧乏探偵の犬鳴に一大転機が訪れた。(なんでこんなに依頼が入ってくるのだろう?)と、思えるほどひっきりなしに問い合わせがあって、次々に受件に結びつく。もう一匹狼を気取っていられなくなり、リクルート雑誌に小さな募集広告を出してみた。すると、ワーという感じで応募が殺到した。元来気のいい犬鳴は履歴書を持って来た人を追い帰せなくなって、初日で10人の採用を決めた。探偵の癖に身元の確認も何にもせず(じゃあ明日から来てね)と即決した。中には拍子抜けしたらしい者も居て、その後、あれこれ質問攻めにあったが、年中無休、時間は有ってないようなもの。ただ、給与は高めに説明したのでみな納得したようだった。しかし、ただでさえ狭い事務所だ。彼らの座る机も場所も無かった。仕方なくビルの一階にあるえらく広い喫茶店を待機場所にした。採用された者達もびっくりしただろう。面接に訪れた会社は大きめの机と応接セットがあるだけ。女子事務員は犬鳴が不在の時(まあ、犬鳴が事務所にいるようではだめともいえた)はその大きな机で、それ以外は、応接セットで読書する。万一、来客でもあろうものならユニットバスに隠れる有様で、笑い話にもならない。
しかし、その狭い事務所は数年前思い付きで購入したもので、自社ビルならぬ社有のオフィスだった。当時は、探偵に依頼するのに事務所に来る依頼人は皆無と言って良いほどほとんどいなかった。たいがい、最寄駅に近い喫茶店とか、ホテルのロビーを待ち合わせの場所にし、そこで様々な打ち合わせを行った。---------