探偵日記 2月10日火曜日 晴れ
毎日のように事件や事故は起きる。一昨日、同業者のへんてこりんな事件の報道を見たと思えば、昨日は、我が郷里下関で、タクシーでどうのこうのというニュースを聞いた。両方とも自分に多少の関わりがあるから、興味深い反面、やりきれないというか恥ずかしい思いである。今朝も寒かったようだ。というのも、タイちゃん散歩を代わって貰ったから僕は知らない。その代り、早々に支度をして出勤。10時前、一番乗りで事務所へ。
新宿・犬鳴探偵事務所 5-1
犬鳴探偵事務所は、調査員と事務員を合わせて25,6名を抱え、都内でも大手と言われるようになった。いきおい、協会内での犬鳴の発言は重く受け止められるようになり、自然な形で(犬鳴派)みたいなものが形成された。或る時、派内の主だった者の一人が「ワンちゃん、ちょっと相談があるんだけど」と言ってきた。彼は、年齢こそ犬鳴と同じだったが、探偵としての業歴は浅く、調査能力もいま一つだった。ただ、豪腕で、一旦言い出したら引かない男子の覇気のようなものが感じられる人物だった。協会内で、犬鳴とは特に気が合い、ゴルフや麻雀、また、夜になれば毎日のように歌舞伎町に繰り出した。その日、新宿の喫茶店でコーヒーを飲みながら、その男が囁いた相談の内容を聞いて、何でも有りの犬鳴もう~んと言って絶句した。
彼は「ワンちゃんチャカ(ピストルのこと)手に入らないかな~」と言ったのだ。(頼む相手を間違ってるんじゃあないの)そう思った犬鳴だが、生来の見栄っ張りである。(そんなこと出来ないよ)と言えば済むが、そうは言わず、(何をするんだよ)と聞いてしまった。まさか殺人なんかしないだろう。それほどバカでもないし、経済的に逼迫している様子も見えなかった。「うん、ある家の玄関に撃ち込んでやるんだ」いとも簡単に言い放つ。(何それって仕事なの)犬鳴が聞くと、「そうなんだ」と言って聞かされた説明はこうだった。
「俺の依頼人なんだけど、世田谷の資産家に後妻で入ったばあさんが居てね。最初は、自分が死んだら全部お前のものだって言ってたらしいんだけど、近くに住む長男夫婦が何かと邪魔をするらしい。」犬鳴は、もっともだと思った。聞くところによれば、女性はキャバレーのホステスをしていた時、その地主と知り合ったという。長男ら親族は、やがて訪れる莫大な相続。きっと秘かに楽しみにしていただろう。そこに、何処の馬の骨とも知れない厚化粧の年増が現われ、労せずして半分持っていかれるのだ。仮に、犬鳴だって邪魔の一つもしたくなるだろう。
でもそれと、長男のほうではなく、自分の家に深夜ピストルを撃ち込むことがどんな意味があるのか?さらに彼が説明をする。「じいさん、最初は後妻の言いなりになっていたけど、長男が調査して、後妻に男が居ることを突き止め告げ口したらしく、以来、じいさんも長男の言うことを聞くようになった。ただ、じいさん非常に怖がりだから、そんなことをされたら飛び上がって驚き自分の言うことを聞くようになる」というのが、依頼人の考えついたことらしかった。報酬は10億円という。犬鳴は、その報酬の高さにへ~と思ったが、(そんな大金どうして捻出するんだろう?)と質問すると、「ばあさんが相続したら払うって言ってるんだ」と言う。犬鳴は、(随分甘いな~)と思ったが、彼は全く疑問に思っていない様子で、もう入ったかのように興奮している。10億円というお金は右から左に動かせる額ではない。何しろ重量にして100キロあるのだから一人ではとても持ち運びだって出来ないのだ。少し前、犬鳴は一度に2億円の集金をしたことがある。20キロを鞄に入れて富士銀行に駆け込んだがその重さに閉口した記憶があった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーー