探偵日記

探偵日記 2月9日月曜日 晴れ

今日は久しぶりの事務所。といっても3日ぶり、働き蜂の僕は1日でも休むと罪悪感に苛まれる。な~て言うのは嘘。最近は、体力気力ともに衰え、朝、外出の支度をするのが億劫というか辛い。特に、寒さに弱い僕は12月から3月までの季節が、別の意味も含めて嫌いである。
昨日は、栃木県小山市にある(ひととのやCC)月例の日。昨年1年間で4回入賞したので、今度こそ。と思って臨んだが結果は最悪。というのも、寒い上に5ホールぐらいから本降りになってゴルフにならなかった。とはいえ、条件はみな同じだから言い訳に過ぎないが、1メートルを3パットしたのではお話にならない。ただ一つ良かったのはキャディさんがTちゃんだったこと。(笑)同じコースで行う15日のコンペ(サンサン会)でリベンジを。

 親しいクラブのホステスからメールが届いた。「ねえ。渋谷で立てこもって逮捕されたの探偵っていうけどジョージじゃあないの」(どういう訳だかこの店のママやホステスは僕のことをジョージと呼ぶ)そういえば、ニュースで、何でも元探偵事務所の代表って言ってたな。そして今日、事務所に行くとその話題で持ちきりになっていた。聞いてみると良く知っている男だった。最近は年賀状のやり取りだけだが、かって、協会活動を通じて酒も酌み交わしたことがある。すっきりしたなかなかの好男子。というのが僕の記憶だが、覚醒剤か危険ドラッグでもやったのだろうか。あ~あ。


新宿・犬鳴探偵事務所 5

 ぱっとしない犬鳴探偵事務所もそれなりに仕事が入り、経済的に心配のないことを良い事に、犬鳴は趣味の麻雀と、協会活動を熱心にやった。特に、調査業協会は次第に充実し、主務官庁の警察庁の助言により、社団法人の許可を得て、昭和63年9月3日、ホテルオークラで、盛大に設立記念のパーティーを催すことになった。時は、バブル景気に沸き、探偵業界もおしなべて好況であったし、この日、これまでの努力の甲斐有ってようやく「正業」として、世に認知されたのであった。

 ホテルオークラの一番広い宴会場を借りきり、「社団法人日本調査業協会」の設立パーティーが開催された。犬鳴達理事は白いばらとネームプレートを付けてホスト役を務め、会員の同業者や招待客を出迎えた。皆の顔は上気し、酒を飲んでいないにもかかわらず赤く上気している。犬鳴はそっと会場を見回し、池袋の探偵事務所の所長の姿を探した。いた居た。黒いモーニングを着て走り回り、誰彼と無く挨拶を交わしている。もしかしたら、この会場の中で一番喜んでいるのは彼じゃあなかろうか。犬鳴は、彼に対する風評を反芻しながらそう思った。噂では、彼は、元ヤクザで、関西の老舗の某組の幹部だったとか、前科11犯というから半端なヤクザではないだろう。浅黒い顔に金壺眼、髪をオールバックにして、運転手付きの高級車にふんぞりかえって乗っている様は、どっちから見ても現役のそれであった。犬鳴はそんな彼を尊敬はしないまでも好感を持っていたし、ある意味に於いて認めていた。主管が警察庁ということもあり、会員の中に、さすがに現役のヤクザはいなかったが、元、や、まがい。は一杯居た。このころまでの「探偵」は、それで罷り通った時代だったような気がする。

 まず、会長が挨拶し、その後、来賓が祝辞を述べた。主管のキャリアであろう、若い課長職の人物が簡単に話した後、名前は忘れたが自民党の代議士が乾杯の音頭を取って、その後、名刺交換や主だった来賓の挨拶が続き、飲食が始まった。犬鳴達ホストは控えめに飲み食いしながらにこやかに立っている。(さあこれで大手を振って仕事が出来る)というのが、業者全体の感情で、次は業法を作ってもらうんだ。と、意気込んでいた。

 やがて、閉会となり、犬鳴達ホストや親しい業者が残って慰労会のような雰囲気になった。みんなは、前科十一犯を中心に集まり労をねぎらう。誰ともなく、「00さん、ご苦労様でした」と言った途端、彼は号泣した。よほど嬉しかったのだろう。世間の裏街道を歩く人生から、まだ胡散臭さは残るものの「探偵」という堅気の職を得て、今まさに、その職業が正業として認められ、その功績の一端を担ったのである。なにしろ、日本調査業協会の会長は、察庁のOBの木村正一氏。彼は、愛宕や丸の内で署長を勤め、定年後、我々の業界に転じた。といっても、誰かが担ぎ出したお神輿である。他にも、元、埼玉県警の本部長、元、警視庁一課長らが、協会の要職に就いていた。犬鳴が理事を務める東京都調査業協会の会長だけが民間人で、千駄ヶ谷に本社を持つ、テイタンの社長、廣島澄雄氏が就任した。とにかく、察庁のOBというだけで有難がる風潮があり、後に、会長となるTなど、外事に数年間在職しただけの人だった。権力とか肩書きに何の関心もない犬鳴は、苦々しくも覚めた気持ちでいたが、まあそれで主管との関係が上手くいくのなら。と、そんな協会のありかたを半ば認めていた。主管にしてみれば、探偵にお墨付きを与えることは(気違いに刃物)を持たせるようなもの。と思っているだろう。その証拠に、この日、「近々、業法を」と言っていたのも拘わらず、実際に法律が施行されたのは、それからおよそ二十年を経過した。主管から、「警備業法を下敷きにして勉強して置いて下さい」(警備業法は、ガードマン達の殺人とか窃盗事件が頻発したため、急遽制定した法律で、随分前に施行されていた)と言われた協会は、協会内に(法務研究会)みたいなものを作って勉強したものだ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー