探偵日記

探偵日記 3月26日木曜日 晴れ

昨夜はゴルフ仲間の歯科医T先生と新宿で食事した。その店の女将とT氏が古い知り合いだとか。店の名前は「がんこ新宿・山野愛子邸」という変わった名前。職安通りに面して建っているその家は僕も昔から知っていたが、まさか料理店になっているとは。がんこチェーン展開する会社で、美容家として高名な彼女の邸宅を借り上げたものらしい。(こんな大きな家に住んでいたのか)と、驚くほどの広さだった。庭には桜のほか樹木が植えられ、鳥居も有った。女将が(居酒屋よ)と言っていたように料理の味は平均的で、店内の雰囲気もまあそんなものかな。と思えたが、田舎者の僕にはもったいないようなひと時だった。その後、ちょっと行きつけのクラブに寄って、明日はゴルフ。というT氏を送って阿佐ヶ谷に帰った。何処かもう一軒。と考えたが、ビール、ワイン、焼酎、ウイスキー、とチャンポンして少々酔っても居たので真っ直ぐ帰宅した。

新宿・犬鳴探偵事務所 9

 勿論、毎月数回行われる関係者の裁判は必ず傍聴し、銀行やノンバンクの極めて杜撰な仕事ぶりを目の当たりにし。詐欺グループのままごとみたいなやり方で、総額一兆円を越す金の流れに、呆然としたものだった。
公判の一部を紹介するとこのようになる。

裁判官  貴方は富士銀行の赤坂支店に100億円の定期預金をしましたか。
証 人  いいえ、
裁判官  しかし貴方は平成元年12月1日、オリエントコーポレーションから、定期を担保にして、100億円の融資を受けましたね。
証 人  ハイ。僕はただ、黒木さんに指示され、小林支店長代理の言うとおりに署名しただけです。
裁判官  じゃあ、融資された100億円はどうなったのですか。
証 人  知りません。

 証人として出廷してきた男性はまだ30前の、見るからに馬鹿そうな兄ちゃんだったが、歴とした会社社長である。但し、その会社は、法人登記はあるものの実態のない、所謂
ペーパーカンパニーだった。こうして、富士銀行赤坂支店の小林支店長代理が偽造した100億円の定期預金証書を担保に、オリエントコーポレーションはまんまと騙し取られたのである。それにしても実態の無い会社に、それも見るからにエセ社長に対し、ろくに調査もせずに融資するなんて。と、犬鳴は慨嘆したが、当時の金利は8パーセントとも、10パーセントとも言われた時代である。天下の富士銀行が作成した担保証書があれば、大きな利益となる。まさに、貸さない方がおかしいと思わせる舞台設定なのであった。この融資が実行された日、小林支店長代理は、正規の手数料(金融斡旋の手数料は五パーセントとの暗黙の了解がある)5億円を手にしたうえ、(悪いけどちょっと10億ばかり回してよ)と言って、合計15億円を懐にした。

 そんな夢のような場面に遭遇しながら裁判は確実に進行し、まず、小林支店長代理に判決が言い渡された。某日、朝10時10分に開かれた判決公判で、裁判長から「被告人に懲役11年を科す」と宣告された小林は、一瞬(えっ)という表情をした。何故ならば、彼は弁護士の主導で、総てを正直に言い、関係者が直隠しにしたい事柄を暴露したのである。したがって、小林自身は(司法取引に応じた)つもりになっていたが、裁判官は容赦なかった。ただ、求刑14年に対し、多少の恩恵は有ったのかもしれなかった。黒木ら関係者は、仮に、刑期を終えても民事の方で返済義務が残るが、証書を偽造した小林には、責任を負わせる金額の算定が出来ない。単に、公正証書偽造及び、同行使の詐欺罪に問われただけである。公判で証人として出廷するたびに、「裁判長に申し上げます。私は一日でも早く罪を償い、被害者に対し返済を行いたい」だから早く判決を出してくれ。と哀願していた。犬鳴が傍聴し始めてから、小林の懐に入った金を計算してみると、少なく見積もっても450億円であった。本来、倹しい生活に慣れた銀行マンである。たとえバブルに狂乱したとて、これほどの額を使い切ったとは思えない。必ず何処かに隠匿しているはずだ。犬鳴は確信を持ってそう思っていた。小林が判決を受けたのが平成7年、長期刑の者が行く千葉刑務所で7~8年も辛抱すれば仮出所が可能だ。当時の小林はまだ40台の初め。今頃はとっくに娑婆に出てちまちまと株式投資などやりながら優雅に暮らしていることだろう。

 一方の黒木は最後まで無罪を主張したが、高裁でも一審の判断は覆らなかった。最終的には、当時の詐欺罪の極刑に近い14年を言い渡され、小林に遅れること10余年、平成20年春、長野刑務所に送致された。犬鳴と黒木の実弟の関わりは、それより早い時期に解消され、大弁護団も縮小されたと人伝に聞いた。

 実は、このことは沢口にも言わなかったが、本件の真の依頼人黒木とは少なからず縁があった。縁と言えるかどうか判らないが、その少し前、犬鳴探偵事務所のマルヒの一人であったのだ。バブルが始まって間もない頃、銀座の売れっ子ホステスを妻に持つ男性から(妻が帰って来なくなったから探して欲しい)という依頼を受け、麻布十番の超高級マンションの一室に隠れ住んでいたホステスを探したことがあった。その調査の過程で、マルヒのホステスの愛人として登場したのが黒木だった。今にして思えば、当時の黒木は湯水の如く入ってくる悪銭を豪快に使いまくっていた頃だった。そして、銀座の高級クラブ「姫」で働くマルヒを愛人にして匿っていた次第である。
 或る時、黒木と電話で短い会話をしたことがあった。勿論、犬鳴が探偵で、自分を調べていることも承知だったが、文句や恨みがましいことは一切言わず、「僕にも家庭がありますので、その辺をご配慮下さい。」というもので、終いに、「今度機会を設けて一杯やりませんか」とも言っていた。犬鳴は、同い年の黒木に対し爽やかな印象を受けたことを思い出す。勿論、その後彼と交わることはなかったが、当時の調査で、経歴や家庭環境、家族構成、父母のこと。資産状態など具に調べていたので、電話口の黒木が、全く知らない他人には思えなかった。犬鳴と同じ銀行マンの父を持ち、慶應義塾大学を卒業したぼんぼんだった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー