今日も家を早く出て、9時半ぐらいには事務所に入った。何かに急かされるような心境で、事務所にいるだけで、仕事ははかどらず時間ばかりが過ぎてゆく。生きてゆくということは、時の移ろいとともに、煩雑な環境と戦うようなものかと思えるほど、ただ、気持ちだけが焦燥感に責められる。
本年4月、今までの事務所からピッチングの距離に分室のような事務所を設けた。ところが、そこから無間地獄のような不況に見舞われ、大袈裟に言うと組織改革を余儀なくされた。関係者は色んな思いがあるだろうが、僕を筆頭に怠惰すぎたのだと思う。反省、反省。
今日は床屋さんに行って、その後現場周りをするつもり。(笑)
新婚旅行 4
翌日の夕刻、事務所にいると依頼人がやって来た。N所長が応対しているが、なんせ一間の事務所のこと、所長と依頼人のやり取りは否応無く聞こえてくる。(というような状況で、その男性と3時間抱擁していました。この男ですが)と言って、僕が撮った写真を見せている。「この人なら知っています。結婚式にも出席してくれた妻の上司です。」と依頼人。就業場所が異なるため滅多に顔を合わせることはないが、依頼人の上司に当たる人物のようだ。
上司には家庭もあるので、いわゆる不倫である。当然ながら依頼人は相当にショックを受けている。この上司は、式で祝辞を述べたらしい。「良く気のつく女性で、彼女を妻にする新郎は幸せ者」というような内容だったという。まだ若く世事に疎い依頼人は、調査の結果、自分も知っている上司と妻が極めて親密な関係であることは分かったが、では何故、妻は自分と結婚したのだろうか?とか、上司は自分のことをどう思っているのか?など、感情の整理がつかないまま、「では今週の金曜日宜しくお願い致します」と、次の調査を依頼して帰っていった。挙式を終え、新婚旅行から帰ってきて、僅か10日目のことであった。
当時は、(花金)と言われ、金曜日はサラリーマン達の最も待ちわびる日であった。その後、(花木)と言われるようになり、木曜日がその日になった。しかし僕ら探偵にとって、花を感じさせる日は無い。むしろ、木曜日や金曜日は決まって仕事になり、ガールフレンドとデートの約束なんか出来なかった。その頃は僕もKさんも結婚していたので、週末の仕事は苦にならなかった。むしろ積極的に仕事に参加したいと思っていたほどだ。こう言うと、家庭が不和に聞こえるかもしれないが、そんなことは無い。お休みの日は進んで家庭サービスをしたし、時には、Kさんの家族と一緒に丹沢や高尾山にハイキングした。
O月△日金曜日、新婚ほやほやの妻の尾行調査日、午後4時、マルヒが勤務するビルの前に到着、直ちに張り込みを開始する。余談だが、依頼人との約束は午後5時から着手することになっている。しかし、事務所の方針で、1時間前に現場に着くことになっていた。勿論調査費は5時から計算する。この習慣は今でも続いている。
午後5時25分、ビルの正面玄関よりマルヒが出て、最寄の駅方面に歩いてゆく。僕とKさんは全く知らない者同志のように別々に追尾。尾行調査の場合、どうしてもお互いを頼り勝ちになる。そうすると、仮に、失尾(尾行に失敗すること)した時、二人とも見失う羽目になる。したがって、何人で尾行しようとも自分ひとりでやっている気構えで行う必要がある。
駅に着いたマルヒは都心に向かう電車に乗る。
この日は、新宿駅で上司と合流。駅近くのレストランで食事をしたあと、新宿通りを四谷方面にゆっくり歩き、伊勢丹を過ぎた頃から腕を組み、寄り添うようにして進む。依頼人の夫には、(高校時代の友人がお祝いしてくれる)と言って、少し遅くなる。とも付け加えたらしい。--------