8月30日木曜日、10時過ぎに事務所に着く。事務のたかちゃんだけで、調査員は全員出はらっている。炎天下の張り込みは辛いだろうと思うが、先輩探偵みんなが通った道である。頑張れ。
膠着状態だった案件も少しづつ進み光明が見えてきた。数日中には、中間報告が出来るだろう。ご依頼人は、一たび依頼すると早く結果が知りたいものだ。僕は、小刻みにでも判明事項を、電話やメールで報告している。次から次に仕事が入ってくるほど忙しい事務所ではない。きめ細かい対応が肝要である。
息子をはじめ事務所の人たちには、是非見習って欲しい姿勢だと思うが、果たしてどうだろうか?
新婚旅行 6
事務所を飛び出して区役所に行った依頼人から電話で、「間に合いました明日またお伺いいたします」と連絡があり、翌日の夕方事務所を訪れたらしい。僕とKさんは別件で張込調査に入っていたため、その後の顛末は後日所長から聞いた。
依頼人は母子家庭で育ったという。よくある話で、依頼人を生まれて間もなく父親が失踪した。簡単に言うと浮気相手と駆け落ちしたらしい。したがって、依頼人は父親の顔さえ知らず、母親と祖母に育てられた。都内の高校を卒業後、メーカーに入り、本社工場勤務となったが、遅刻や欠勤も無く真面目に働く依頼人を認めた上司が見合い話をを持ってきてくれた。何度かデートを繰り返し婚約し、晴れて挙式に至ったのが十数日前のことである。
都内のホテルで式を挙げ、九州方面の新婚旅行に出た。飛行機で大分に着き、別府、宮崎、を経て、レンタカーで九重高原を縦断するやまなみハイウエーを走って、熊本に行き、最後の夜は、杖立温泉に泊まった。しかし、楽しいはずの新婚旅行は、始終ふてくされ顔で言い放つ妻の一言ひと言が胸を刺し、「何がなんだか分からない地獄のようでした」依頼人は、「結婚するまでは、他の女性と淫らなことはすまい」と心に決めていた。さらに、「結婚したら父のようには絶対にならない。妻だけを愛し温かい家庭を作ろう」と、秘かに考えていた。
結婚初夜、男女の営みを経験したことも無い依頼人は、どうしたものかと思い悩み「ゴメン、僕は経験が無いので」と、正直に告白した。すると、新婦は薄く笑ったが、依頼人には(嘲笑われた)ように感じたらしい。僕も、風聞の限りだが、初夜を失敗する夫婦は結構いるらしい。それも仕方の無いことであろう。しかし、依頼人の場合、2日、3日目にはどうにか成功した。今思えば、経験豊富な新婦の導きもあったに違いない。ただ、妻は、「違うな ~」とか、「変だな」などと訳の分からない言葉を発し、旅行の間中不機嫌で通したという。
いくら生真面目な男で、そうした経験が無くても知識はある。(自分は誰か他の人と比べられている。)ほんの小さな「疑念」は、旅行から東京に帰ってくる頃には、決定的な「疑惑」となり、新居で交わった際の、妻の様子や、翌朝「明日は、式に出れなかった友人がお祝いしてくれるって言うから遅くなる」と言う言葉で、(調査)を決心した。友人の中には自分と共通の人も居た。ならば、自分も一緒に。と言うべきではないか。
そして、調査の結果、見合いを勧め、披露宴の祝辞で、「素晴らしい女性であり、妻にした新郎は幸せ者」と言った上司が妻の不倫相手と判明した。
N所長が僕にしみじみ言った。「依頼人は泣いていたよ。自分は結婚したら絶対離婚等しないと思っていました。と言っていた。」らしい。「同じ会社の上司だし、下手に騒ぎ立てることも出来ないよね~」当時は僕も若かった。あの上司は、使い古しの彼女を依頼人に押し付け、態良くお払い箱にしたのに、どうして復活したのだろうか?
還暦をとうに過ぎた今なら何となく分かるような気がするが、罪な二人である。N所長のアドヴァイスで、戸籍は汚れなかったが、女性に対する不信感は容易に消えないだろう。もう、結婚して、彼の言う(幸せな家庭)は持てただろうか。------ (了)