8月24日金曜日、毎日のことだが、本当に今日も暑い。
それでも老コナンは休めない。午後1時、やっとのことで事務所にたどり着き、2~3打ち合わせを済ませたあとパソコンに向かう。今日から、僕が探偵になった頃、担当した調査について書いてみる。当時の僕は、神田駅に近い「東京探偵事務所」に勤務していた。所長はNさん。茅場町に古くからあるS探偵事務所を辞め独立したばかり、Nさんが採用した探偵見習い第一号が僕で、2ヵ月後、Kという僕より3つ年上の人が入ってきて、その調査を二人で行った。
その後、東京探偵事務所は東京でも1,2の規模になり、調査員も増員した。僕は、半年ほどで首になったが、どういう訳かその後もN所長は僕を可愛がってくれ、Kさんや、そのほかの調査員とも長い付き合いになった。僕の、調査員としての原点は、帝國興信所(今の帝國データバンク)と、日本商工リサーチで、探偵としての原点は、僅か6ヶ月在籍した東京探偵事務所であるように思う。幸いしたのは、所員が少なく色んなことを経験できたこと。例えば、今の僕の事務所では考えられないが、電話帳の広告を見て調査を依頼したい。と言ってくる新規の依頼人に対し、応対や受件(正式に依頼を受任する契約行為)を任されたり、調査が終了したあとの調査費用の精算なども任されたことである。こうして、僕は業務全体の流れを経験できたことが、その後の開業に大いに役立った。
しかし、大量の広告を出して杜撰な調査を繰り返す業者が東京に進出してきたため、昔気質のN所長の東京探偵事務所や、S探偵事務所は衰退し、廃業に追い込まれてしまった。僕も、調査業協会の理事として、彼らに抵抗したが、結果として、彼らとの経済戦争に負けてしまった。
新婚旅行 1
神田駅西口今にも朽ち果てそうな3階建ての木造のビルに東京探偵事務所はあった。見習い調査員第一号として採用された僕は、興信所の調査員としての経験こそあったが、提出した履歴書に過去の経歴は書かず、一から学ぶつもりで面接を受けた。(次々に依頼が舞い込み、誰でもいいから人手の欲しかったNさんは)即決採用して下さり、何と、その日の夕方から尾行調査をするように命じられた。しかも一人でやれと言う。今考えるとずいぶん乱暴だが、当時の東京探偵事務所は、背に腹は変られないような状況だったらしい。
散々失敗を重ねN所長に渋い顔をされたり、怒られた僕だったが、使い勝手が良かったのか随分可愛がられ2ヶ月ほど過ぎた。そうしたある日、現場から事務所に帰ってくるとN所長が僕ぐらいの若い男性と面談している。5坪も無いような狭い事務所のことゆえ聞くともなしに聞いていると、若い男性の依頼人が「昨日新婚旅行から帰ってきました」と言っている。それがN所長の癖で、(ああ、そうですか)と応じている。
間もなく依頼人が帰って行き、明日から着手するその件の打ち合わせになった。N所長の説明によると、依頼人の若い男性は僕より2歳下の22歳だと言う。1週間前挙式をし、九州方面の新婚旅行から昨日帰ったばかりであった。「妻の様子がおかしい」と言って、素行調査を依頼した。--------