嘘 その1

昭和26年4月、山口県豊浦町の小学校に入学した僕は、数年前に「修身」と言う表現は消えたものの、必修科目に「道徳の時間」というのがあり、礼節や修養などの精神鍛錬を受けた。そんな教えの中に、(嘘つきは泥棒の始まり)があり、僕など、嘘が悪いことは理解できたが、(泥棒の始まり)と言う意味がどうしても分からなかった。当時も今も、僕の田舎で、例え留守にしても鍵をかける家など一軒もなかった。したがって、(泥棒さん)は居ない。

僕も、幼少の頃から他愛の無い嘘は良くついたが、人のものは盗らなかった。中学生になり、あまりのひもじさに、下校時庭からはみ出している柿の木から一つ二つ失敬したことはあったが、その家の者も、同じ村の子の事である大概は知らん顔をしてくれた。

昭和38年上京し、まず借りた部屋の家賃が月3,800円。勿論お風呂は無いしトイレや洗面所も共同だった。そのアパートは木造二階建てで上下32の部屋があり、ほとんどが学生であった。暮らしはじめて1ヶ月経っただろうか他の部屋の住人が(盗難に遭った)という騒動が起こった。鍵をかけずにちょっと外出した間に、食パンが無くなった。らしい。結局管理人兼大家さんが、その住人にパンを買い与え納まった。その日以来、管理人さんが各部屋の鍵を調べ、壊れていた部屋は修理し、「福田君もちゃんと鍵をかけなさいよ」と厳命された。(盗られるものなんか何にも無いのに面倒くさい)と思ったが、(東京には泥棒さんが居る)知識はしっかりついた。

(貴女は悔しくないの)「そうですね、別にお金を取られたわけじゃあないし、金持ち喧嘩せずっていうからまあいいか」(でも貴女は心を盗られたでしょう)こんなやりとりをした或、依頼人の女性とその事件を思い出した。



嘘 その1

某日、例によって懇意にしているT弁護士から「今、クライアントが来ているんだけどすぐ来れない?」という電話がかかった。ちょうど事務所にいた僕は(すぐ参ります。そうですね10分ぐらいで)と応えて、事務所を飛び出した。僕の事務所が四谷三丁目、T弁護士は、中央総武線、地下鉄有楽町線や新宿線の駅がある(市谷)に近い、「市谷法曹ビル」に事務所を持っていた。僕の乗ったタクシーは5分で着いた。外堀通りから靖国通りに入り、九段方面に少し行くと「一口坂」という信号がある。その手前に市谷法曹ビルがある。

(遅くなりました)と言って事務所に入ると、事務員に応接室に通され、クライアント(僕にとっては、依頼人だが、弁護士はこのような表現をする人が多い)と面談していたT弁護士から、その女性の依頼人、崎山杏子さんを紹介された。小柄で痩せぎす容貌も極々普通、化粧っけの無い顔に特徴の無い部品がお義理のようについている。年齢は三十代後半だろう。動物的な女の魅力は乏しかった。T弁護士は、「私が長年お世話になっている会社社長のお嬢さんで、女医さんです。何か、結婚相手のことでお調べになりたいらしいので、後は宜しく」と言って、多忙なのかそそくさと部屋を出て行った。

僕は、名刺を出し自己紹介したあと、ふ~ん医者か。と思って観察すると、確かに知的な佇まいで、裕福な家庭で育っただろう穏やかな雰囲気を醸し出していた。ーーー