嘘 その8

そのあと、依頼人は自分の生い立ちや、家庭環境、1年前実父を亡くしてから母親との関係がいっそう悪化したこと等饒舌に話してくれた。実父は、依頼人が医者になったことを大層喜び、かなりのものを生前贈与の形で残してくれたらしい。したがって、まだ若く、しかも医師としての将来も確立されているうえに、資産家でもある。僕は聞いていて、(随分恵まれた人だな)と思った。そんな依頼人が唯一つ叶わないことがあった。(恋人が居ない歴十余年)というから、精神的に淋しい日々を長い間送ってきたことになる。

そんな或る日、なにげなくインターネットで出会い系のサイトを見て、(当方独身、真面目なお付き合いを望んでいます。何方か交際をして下さる女性はいませんか)という書き込みがあり、恐る恐る連絡をしてみたのがマルヒであった。何回かメールのやり取りの後、実際に会ってみると思った以上にハンサムで、いかにも真面目なサラリーマンといった印象で、2度目のデートで結ばれたという。それが昨年の暮れ近く、依頼人がマルヒを独身だと確信したきっかけは、12月24日いわずとしれたイブ、マルヒが東京から静岡の依頼人に会いにきてくれたことだという。僕にも経験はあるが、妻子のある身でこの日愛人や恋人とデート出来る男性は稀であろう。妻や子供の誕生日、結婚記念日、世の妻たちは、その他諸々と口実を設け夫を家に(おびき寄せる)夫がこれをはずすと大変なことになる。一生とは言わないがかなりの期間責め立てられる羽目になる。

そんな重大な日に自分に会いにきてくれて、一夜を過ごしてくれた。依頼人がマルヒとの結婚を強く意識した記念日でもあった。その日から、依頼人は、マルヒとの結婚を前提に精力的に行動し、まず、勤務を東京に移し、そのための住まいも用意した。(どうして調査をしようと思ったの)僕が聞くと、依頼人は「あまりにも簡単に幸せが手に入り、もしかしたら夢じゃあないかと思って、良く有るでしょう。ほっぺたを抓って確かめるみたいな」と言って淋しく笑った。

恵まれた職業と、一生使いきれないほどのお金があっても、それで幸せになれるかというとそうでもないんだな。毎日あくせく働き月末の支払日を心配する。そんな僕でも(自分が不幸だ)と思ったことは一度もない。依頼が入れば喜び、仕事が上手くいけばまた喜ぶ。小さな集金でもホットする。今目の前にいる依頼人よりうんと幸せかもしれない。

突然依頼人が笑い出した。僕が怪訝そうにすると、嬉しそうな顔で、「彼からメールが来ました。明日食事がしたいって」って、言ってます。と言う。僕が(どうするの)と聞くと、「どうしょうかな」と応えたあと、「もう二度と会いません」と言う。僕は、(そんなこといわないで、会って言ってやればいい。OOさんって。それから、奥さん綺麗な人ですね」って。僕たちは同時に大笑いした。

僕は今でも思っている。卑しくも、人を諭すべき宗教に関わっている者である。場面によっては偉そうなことも言うだろう。そんな人間が、真面目を絵に書いたような女性にこんな嘘がよくつけたものである。もしかしたら、悲しみのあまり自殺するかも知れない。とは考えなかったのだろうか。逆に、怒った女性が何らかの方法で、(現に、依頼人は調査料を費やし正体を暴いている)仕返しみたいなことをすることも考えられる。

あの時、僕は依頼人に言ってみた(懲らしめてあげようか)依頼人は「結構です。お金を取られたわけでもないし、それに、金持ち喧嘩せずって言うし」と応じた。その言い方は決して傲慢ではなく、絶望感すら感じた。さらに僕が言う「だって貴女は心を盗られたでしょう」-------(了)



9月10日月曜日

2週間散々手こずった案件に、やっと光明が見えてきた。東京は広い。そして様々な人間がいる。大型マンションの住人で、顔写真も無い。依頼人から聞いた特徴を頼りに、出入する人物の写真を撮りながら尾行を重ね、やっと該当する人物に到達した。開けてみれば何のことは無い。遠回りした当方が馬鹿みたいな結果だった。しかし、やっぱり東京は広い。中にはこんな人間もいる。職業は家政婦、6回の結婚離婚を経て、どういう訳か、超高級マンションに住んでいる。その家賃は、当該女性の月収の数倍だろう。--東京は広い、都会は怖い。(笑)