嘘 その7

1週間もするとマルヒの出身校他の確認も取れた。慶應義塾大学ボート部は、S大学で部活なし、卒業後すぐに本部の職員として採用され、将来を嘱望される青年部の幹部候補生の一人であった。驚いたことに、氏名は全く違っており、本名と偽名の土門明に共通する部分は欠片もなかった。勿論生年月日も違っており、したがって、干支も異なる。ということは、どんなに親密になろうともマルヒは依頼人と正式に婚姻する気持ちはなかったことになる。仮に、本気で愛して何が何でも結婚しようと考えるならば、妻に事情を話し、相応の慰謝料及び子の養育費等を決めれば、或いは、妻も納得してくれるかもしれない。

しかし、マルヒには、依頼人と結婚する等の気持ちは、これっぽっちも無かったことになる。あわよくば、遊ぶだけ遊んで、ある日突然音信不通になればいい。普通の人は、嘘だらけの手がかりでマルヒの真実に迫ることは出来ないだろう。結局、依頼人は何がなんだか分からないうちに、(縁がなかったのかしら)と判断し、そのうち忘れてしまっただろう。もしかしたら、マルヒにはこんな経験が山ほどあって、大勢の女性をもてあそんでいるのかもしれない。許せないなあ。と思ったが、法治国家で生きている以上どうすることも出来ない。嘘をついて束の間の快楽を得たマルヒの勝ちである。

数日後、僕は知り合いの弁護士とゴルフの予定があり、昼食の時、冗談交じりに聞いてみた。マルヒの行為は一種の(詐欺)で、金銭を得ていれば、俗に言う結婚詐欺である。しかし、マルヒもその点用心して振舞ってきたようだ。今まで金の無心もせず、先日の食事会などマルヒが精算していた。

弁護士の意見も(難しいなあ)というものだった。

調査はすっかり終わって、報告書を冊子にして依頼人に渡した。依頼人は、静岡県の病院勤務から、都内のクリニックに移る予定になっていた。卒業した医大も東京であり、何より、マルヒの彼と会いやすいようにと、都内のマンションを探し、近々転居の予定も立っていたし、もう住むことも出来る状態だった。あの、尾行調査に日、依頼人が「今日私の部屋にいらっしゃる?」と聞いたら、マルヒは(明日早いから帰る)と言って拒否したらしい。しかし、マルヒは当夜漫画喫茶で過ごしている。多分近い将来の(別離)を予感していたのだろう。それまでは、必ず泊まっていった女性の部屋、今度は新居である。どんな部屋か見てみたいと思うのが普通ではないか。

日比谷の帝国ホテル、1階のラウンジで依頼人は報告書を読んでいる。僕は、その姿と表情を眺めながら世の中に何千万人と女性は居るが、こんな経験をする女性はごく稀ではないか。化粧っ気のない顔は生気に乏しく、マルヒと食事をしていた時に、見せた至福の表情は何処にも見当たらなかった。

「良く分かりました」依頼人は静かに言って、何かにすがるような表情で僕を見つめる。あの、優しく愛情をこめた言葉を囁いたマルヒと、報告書に描かれた男性。(もしかしたら別人じゃあないのか)そのギャップが到底理解できないのだろう。落胆はしているが、悲壮感は感じられない。間違ってもラウンジで泣き出したりはしないだろう。僕は、自分の娘みたいな年齢の依頼人を見て、もし、彼女が自分の娘だったらどうするだろうか考えていた。何かをするかもしれないし、結局何も出来ずに、歯軋りをするだけで終わるかもしれない。

依頼人も黙っている。僕も何をどういって慰めていいかわからないまま、冷めたコーヒーを飲んでいた。(ご飯でも食べに行きましょうか)居たたまれなくなり、リップサービスで言ってみた。依頼人も乗り気ではない様子だったが、「じゃあ軽く」と応じる。

銀座6丁目のイタリアンに行きビールとワインを飲みながら食事となった。ワインが入って少し明るい表情になった依頼人が「福田さん、彼はどういう気持ちで私と付き合ったのでしょうか」と聞いてきた。僕はまだ、二人の馴れ初めを聞いていない。だから、自信を持って応えることもできないが(それは、貴女が素敵だからじゃないですか)と、少し笑って言った。100パーセントお世辞であることを分かってか、依頼人も薄く笑って、それでも、嬉しそうにしてくれた。------



9月9日日曜日

今日こそ外出せず家で休養を。と思っていたが、万事落ち着きのない僕は、10時を過ぎる頃からそわそわし、13時、とうとう事務所に来てしまった。只今14時35分。そろそろパソコンに向かっているのも飽きたし、久しぶりに雀荘に行くか。(夕方には帰るよ)妻にそう告げて出てきた。1週間阿佐ヶ谷での夕飯をスルーし、いろんな意味で限界かな。って思っているから、今日は、妻と娘の三人で、焼肉の(大門)にでも行くか。よし、軍資金を稼ぎにいざ東舟(行きつけの雀荘)へ(嘘 笑)。