温泉芸者 3

探偵日記 6月5日水曜日晴れ

昨夜少々飲みすぎた。まず阿佐ヶ谷の焼肉屋でハイボールを3杯と、マッコリを1杯。その後、天国に一番近いスナック「ほろよい」に行き、焼酎を数杯飲んで帰宅した。量的にはどうということはないはずだが、チャンポンしたのがいけなかったのか、5時前、タイちゃんに起こされたときはしんどかった。朦朧として散歩に出る。雨が降ろうと槍が降ろうと避けて通れない日課である。我が家には娘夫婦も同居しているが余程のことがない限り交代してくれない。朝食の後、ベッドでまどろんでいると、明日の予定だった依頼人から電話が入り事務所に来たいと言う。慌てて支度をして飛び出す。約束の10分前事務所着。律儀な依頼人は時間ピッタリに訪れた。
調査は完了し、報告書も印刷すれば良い状態で、事務のものが冊子にする間、口頭で報告する。内容は依頼人の意に反するもので少し気が重い。僕的には、調査をするまでもなく結論は見えていたし、そのことは前もって依頼人にも告げてあった。要するにマルヒが自分の職業その他嘘で固めていた次第である。依頼人はしきりに自分の脇の甘さを恥じていたが、それも仕方のないことだ。普通の人は目下交際中の相手をそんなに疑ってみないものである。客観的に観察する探偵だからおおよその推測が出来るのであって、それさえ調査をしてみなければ確たるものにはならない。依頼人の話を聞きながら、多分こうだろうな。という予見をするだけで実際のところは分からない。何時も思うが、人というものは魑魅魍魎で、色んな姿を見せる。---そういえば芸者子ぶたの呼ばれた座敷はどんな展開になっているか。

温泉芸者 3

子ぶたは初めて会う客だったが、あの弁護士さんが紹介してくださったのかな。と思い、如才なく挨拶した。すると、弁護士は、隣に座って自分のことを品定めするような目で見ている婦人を、「○○さんの奥様です」と紹介した。子ぶたはとっさに何のことか分らず(エッ)と言った後、事情が飲み込めないまま血の気が引く思いで、呆然と二人を見つめた。

今度は婦人の方が口を開いた。「子ぶたさんとおっしゃるのね。主人が色々お世話になってるようで有難うございます」子ぶたは、どうしてこのようなことになったのか理解できず、あおの、その、いいえそんなことは。等と、支離滅裂な応対をした。そんな子ぶたを冷ややかに見つめていた弁護士が「子ぶたさん、奥様は貴女に対して損害賠償の請求をするおつもりですが、貴女が心から謝罪し、今後一切○○さんとお付き合いしない約束をしてくれれば、今回は猶予しても良いとおっしゃっています。我々もそう度々こちらに来るわけにはいきません。今の今で貴女も心の準備が出来ないかもしれませんが、如何ですか」と言う。冷静な物言いながら、有無を言わせない迫力があった。子ぶたは、顔を上げることも出来ず、俯いたままじっと畳を見て、消え入るような声で(分りました)と応えるのが精一杯だった。

弁護士が更に付け加えるように言う。「奥様は東京の探偵事務所に依頼して、ご主人の尾行調査を行い、ご主人が貴女の部屋に泊ったことを確認しています。これは、民法という法律で禁止されている行為で、簡単に言うと、妻の権利を著しく損なう不法行為です。そして貴女は、その行為を扶助した、共同不法行為者として罰せられることになります。俗に言う(慰謝料)の請求が出来、貴女には支払い義務が生じるのです。」(それって幾ら位なんですか)訳がわからず子ぶたは間抜けな質問をしてしまった。子ぶたの脳裏にまずよぎったのが(マンションを返さなければならないのか)という怯えが襲ったのだ。弁護士が言う「それは奥様の腹一つで、1千万円でも、場合によっては1億円でも構わないのです。金額を聞き子ぶたは気を失いかけた。それでも最後の力を振り絞って(わ、私にはそんなお金はありません)日頃気丈な子ぶただが、思わず涙が出た。「ですから、貴女が謝罪し、二度と会わない約束をしてくれれば、今回は慰謝料は結構です。その代わり、もし陰でこっそり関係を続けようとしたなら多額の請求をすることになりますよ」子ぶたはもう何が何だか分らなくなり、(ごめんなさい、ごめんなさい。もう二度と先生のお座敷には行きません)と言いながら、奥様に向かってひれ伏した。

後年子ぶたは、妹芸者や馴染みの客に(あんな怖い思いをしたのは生まれて始めて)と、面白おかしく話したという。結局、その場で、弁護士が用意した(誓約書)に自分の本名と住所を書かされ落着した。--------------