温泉芸者 6

探偵日記 6月12日水曜日晴れ

今朝は久しぶりの雨、タイちゃんも承知していて、表に出るや一目散に中央線の高架下へ。彼も雨は嫌いとみえて30分少々で散歩を切り上げ、帰宅するや朝ごはんに飛びつく。僕は8時前に朝食。本日10時頃新規の依頼人が来所の予定、早々に事務所へ。ただ、依頼人も気まぐれである。天候に左右されることもままある。実は昨日も午後3時に新宿の喫茶店で始めての依頼人と会う約束をしていたが、「急用のため日を改めたい」という連絡が入った。僕の経験ではこの依頼人とは縁が無いと思う。探偵は、(決して無理して受件してはならない)依頼人が良く考えた末に依頼しようと思うまで待つのが定石である。例えば、調査費用を極端に下げたり、(絶対大丈夫です。証拠を掴みます)などと、大見得を張ったりしないことである。後で必ずトラブル。かといって、(どうでしょうかね~)等と、弱気でもいけない。あんまり消極的だと依頼人も不安になる。(この探偵さん大丈夫かしら?)と思われたら受件には結びつかない。

僕は、日本調査アカデミーの講師もするが、その中で、(受件と報告)も受け持っている。とにかく最初と最後が肝心だ。依頼人の信頼を得ながら仕事の依頼をまとめられれば、当該案件の50パーセントは終了したと思って良い。尾行や張り込みなど実際の調査活動はそれほど困難なものではない。と、僕は思っている。まず、依頼人とじっくり話をして、依頼人には(この人に頼もう)と思ってもらう。そして、探偵は、依頼人の本当の目的、本件に対する意気込み、必要性、費用負担の範囲、等々を見極めることが肝要であろう。細かく言えば、マルヒ(調査の対象者)について、身長、体重、眼鏡使用の有無、スケジュール、癖、など。

そうして、最後に報告ということになるのだが、受件時に大事な部分を端折ってしまうと報告イコール精算に際しひと悶着起こる。差し出した請求書を見て、卒倒する依頼人が居るかもしれない(ちょっと大袈裟だが)僕の経験でも、まだ神田の探偵事務所で働いていた時のこと、依頼人の都合で秋田県まで集金に赴いた。ちょうど青森で結婚調査があり、ずるい所長は(ねえ福田君、秋田で途中下車して集金してきてくれないかなあ)と、猫なで声で言った。僕はちょっぴり嫌な予感がしたが所長の指示に逆らうことも出来ない。(わかりました)と言って、請求書を受け取り、翌日、秋田駅の喫茶店で依頼人と会いその請求書を見せた。やってきた母娘は数字を見た途端、顔を見合わせ息を呑んだ。今でも時々、その時の息を呑む音を思い出す。老獪な所長はそんな場面まで想像していたに違いない。

温泉芸者 6

小ぶたと複数の男性は、まるで積み木遊びのような危なっかしい関係ながら、何となく続いた。そんなある年の秋、日光の紅葉が七分ぐらいの見ごろになった頃、小ぶたにとって思わぬ展開が訪れた。小ぶたにとって一番長い会社社長が突然結婚を申し込んできたのだ。「なあ小ぶた、女房と別れるから俺と一緒になってくれないか」社長は、一度離婚していて、今の奥さんとは再婚である。しかも子供は居ない。ただ、婚姻期間が長いので相応の財産分与はしなければならない。80近くなって、残り僅かな余生を気心の知れた小ぶたと過ごしたい。そう思ったようだった。無論、小ぶたに異存は無い。散々男遊びをしてきた小ぶたも、もうすぐ還暦を迎える。昔鳴らした美貌もすっかり影を潜め、朝洗面所で見る自分に驚くことさえあった。

(本当嬉しい)と言って社長のひざに飛びついてはしゃいだ子ぶただったが、ふと(あの先生は何て言うかしら)不安がよぎった。そういえばあの先生も、冗談交じりにそんなこと言ってたなあ。と思い出し、社長に言った。(ねえ、貴方、正式にそうなるなら親にも報告したいし、始末をつけておかなくてはならないから少し待っててくださる)社長も「そうだね、こっちも女房と話し合わなければならなくなるからお互い半年ぐらいの余裕を持とう」と言ってくれ、子ぶたは来春に向けて早速行動を開始した。まず、東京の弁護士だが、これは問題ないだろう。奥さんが怖いらしいし、何より、もう男ではなくなってる。後の人たちも子ぶたにしてみれば火遊びみたいなものである。

次の週、お座敷がかかり、出向いてみると先生だった。床の間を背にしてゆったりと座って、子ぶたを見て(可愛くて仕方ない)というような情愛のこもった目で迎えてくれる。渋い声で「久しぶり、元気だった?」と言われただけで子ぶたはグラッときた。もうお座敷なんかどうでもいい、早く別室に連れて行って。と言いたいぐらい燃えてきた。子ぶたは時々思う。(私って変なのかしら)社長の顔を見れば、この人となら地獄の果てまで。と思うし、先生に会えば、一刻も早く抱いてもらいたい。気持ちになってしまう。この旅館の番頭さんも大好きだし、最近深い関係になった芸人崩れとも何となく相性がいい。自分は多情なのか、姉さん芸者に言わせると「子ぶた、お前は淫乱なんだよ」らしい。自分で自分がわからなくなった。

翌朝、先生に起こされて時間を見ると10時を回っていた。そんなに飲んだつもりは無かったが途中からの記憶が飛んでいる。先生に食ってかかったような気もするし、泣き縋ったような気もした。「おい、早く朝ごはんを食べよう。姉さんたちが片付かなくて困っているよ」先生がふすまを開けて、朝の膳が並んだ部屋に誘う。子ぶたは、酔い覚ましのビールを一口飲んで、お味噌汁を口に近づけながら(先生、私昨日何か変なこといいましたか)と聞いてみる。「うん、いや何も、そうそう結婚がどうとかっていってたなあ、誰と結婚するの」先生は屈託なさげに笑いながら、少し子ぶたを睨むような目をした。(先生は社長のこと知ってるのだろうか)関係を持って暫くして、一度社長のことを聞かれた子ぶたは、(そんな噂も立てられましたが関係はありません)と惚け、先生も二度と口にしない。だけど、狭い温泉場のことである。子ぶたが頻繁に東京に行くことは(社長のところに行く)と、もっぱらの評判になっていた。ーーーーーーーーーーーーーーーー