探偵日記 6月3日月曜日晴れ
昨日は、犬鳴探偵事務所(間違い、TDA)のゴルフコンぺ。といっても総勢7人2組で行われた。コースは「旧東京北」(その後、太郎門に変わり、現在はノース東京北ヒルズ)ここは、平成7年頃までしょっちゅうプレーしたことのあるコースで、18年ぶりに訪れた次第。当時は、僕の本「探偵稼業」№6(バブル)にも、主人公で登場するバブル紳士(坂口社長)に連れて行ってもらった思い出の場所である。ただ、いかんせん18年前のこと、18ホールのうち、しっかり記憶していたのは数ホールだったが、懐かしく、今はもういない坂口社長を偲びながら回った。天気も前日まで雨の予想だったのが曇りに変わり、時々青空も顔を出す好天気。しかし、名前の変転と共にコース全体が様変わりして、昔の面影はなかった。手入れが悪いうえに従業員の教育も行き届いておらず、三流のゴルフ場になっていた。開業当時は、東急電鉄の五島社長や、野村證券などが音頭をとって、会員権も一時期5000万円位になっていたように記憶する。毎週日曜日に坂口社長と来ていた頃は、まるで日本庭園のように綺麗で、若くて可愛いキャディ(当時は、マネージャーと呼んでいた)が二人ついていた。坂口社長は、キャディ一人に1万円のチップをはずむものだから大変な人気だ。となりのホールから(しんちゃ~ん)なんて声がかかる有様で、まさに、栄華の絶頂期だった。
結局、思い出に浸ってばかりの僕は2位、優勝は元、警視庁の警部で、現在相談役をお願いしているMさん。ハンデ0のN君は5位。次回は、群馬県のほうで1泊2プレーする相談がまとまり解散した。遊ぶ計画はすぐ決まる。(笑)
今朝は4時起きで散歩。食事を済ませ10時に事務所へ。今週は梅雨の中休みとか、もしかしたら一回行くかも。
温泉芸者 1
群馬県のとある温泉。関越自動車道(沼田インター)を降りて日光方面に向かいしばらく走ったところにその温泉町はある。一時期大層賑わったが東京から2時間以上かかる地の利の悪さも災いして最近はめっきり客足も遠のいた。訪れる客が少なければ旅館も元気がなくなる。悪循環を繰り返しているうちに、芸者も一人減り二人減り、という具合に寂れ、置屋の数も少なくなった。そんな中、長いことナンバーワンを誇り、その温泉場の看板芸者とも言われたM子も引退を考えるようになり、平成24年の暮れをもって廃業を決意した。芸者時代の名前は(子ぶた)といっても彼女が肥えているということではない。身長150センチ、細身で、洋服も着物も良く似合う。顔は、今はジュリーこと沢田研二の妻となった田中裕子を思わせる。また、上方舞川口流の名取りで、しっとりとした踊りが見るものをうならせた。上方舞は江戸踊りのような華やかさはないが、一般に、座敷舞といわれ、お座敷で舞う、まさに、芸者にうってつけのものといえた。
23歳でこの道に入ったM子は、芸者という職業が性分に合っていたのか、1年もしないうちに温泉随一の売れっ子となり、県内の他の温泉宿からも特別にご指名が入るほどだったという。M子こと、子ぶたに、まず最初に熱を上げたのは東京の弁護士だった。バブルの頃、その温泉街の一等地に100平米ほどのマンションの一室を買い与え、週末になると仲間の弁護士を連れて、家には、「泊りがけのゴルフだ」として、実際にゴルフをやることもあったが、主たる目的は、子ぶたのための宴席を設け、買い与えたマンションに泊る生活を数年続けた。しかし、悪事千里を走る。とは良く言ったもので、ひょんなことから子ぶたの存在を妻が知ることになった。
その日、弁護士は、何時ものように(S先生とゴルフに行く)と言って家を出たが、家に携帯電話を忘れてしまった。慌てた妻が、一緒に行くと言っていたS弁護士の自宅に電話を入れると、S弁護士の妻が「主人は九州に出張していますが」と応えたから大騒ぎになった。ただ、妻は、実際には表立った騒ぎは起こさず、すぐに、自宅のタウンページ(職業別電話帳)を開き、或る探偵事務所に電話を入れ、自宅に呼びつけたらしい。妻は妻で、毎週泊りゴルフに出掛ける夫に対し微かな疑問を持っていた。夫は、後に、弁護士会の副会長になった人である。商売も上手で大手企業の顧問先も多かった。それだけに仕事に関連するお遊びと思い、不在がちな夫の行動には目を瞑っていたが、常々(特定の女を囲ってもらっては困る)と考えていたので、迷うことなく調査をすることを決心し、やってきた探偵に、躊躇なく、夫に対する素行調査を依頼した。-----------