自分勝手 3

探偵日記 8月29日木曜日晴れ

ようやく秋めいてきた。と、喜んでいたのにそうは問屋が卸さなかった。昨夜はまたエアコンのお世話になった。午後9時半、阿佐ヶ谷に着いた僕は(何処でご飯食べようかな~)と迷った末、「旬菜成海」の狭く急な階段を上った。2組の客が居て、若い男性4人が顔見知りだったので、マスターの勧めで同席する。あまりにも年齢差があって気恥ずかしかったが1杯飲んだらそんな気持ちは解消し、後は、嘘つきター坊(僕の幼少時のあだ名、本名が政ータダシなのでそう呼ばれた)の、すし三昧じゃなくて嘘三昧で盛り上がった。特に、ある女優の写真を見せて(恋人だ)と言ったら、羨ましがられるは、「奥さんにばれたらどうするんですか」と言って心配してくれる者もいて、一時、至福の時を過ごせた。今度は本当の女優を連れて行ってやろう。誰がいいかな?
今日も昨日と同じ10時前に事務所へ。

自分勝手 3

康枝は今流行の高層マンションに住んでいる。夫の名義で勿論ローンなんかついていない。200平米近くあるので母子家庭には広すぎる。というのも、夫はもう2年ほど帰ってこない。何処で何をしているのか、高輪の超高級マンションに住んでいるらしいが詳しいことは分らない。ただ、何時でも離婚に応じようという決心は出来ていた。今考えれば、最初から愛情なんか無かったように思う。ドラ息子の強引さに負け、流されて結婚したが執着は無い。夫もそんな康枝の気持ちが分っているようで、帰宅しないことの言い訳もせず、1ヶ月か2ヶ月に1回程度子供の顔を見に来て、ついでに康枝を交えてご飯を食べるが、決して泊って行くことはないし、康枝も強いて希望はしなかった。そんな生活が2年経って、(もうそろそろかな)と思っていたところに、生まれて初めてときめきを感じる人と出会った。

日々やることも無く、息子は小学校に入学したがお昼過ぎには帰ってくるので遠出も出来ず、昼食兼夕ご飯を済ませると二人でテレビを見るぐらいで退屈このうえない。ただ、最近、9時過ぎる頃に息子が(腹減った)と言うようになり、近くにあるマックまで食べに行くようになった。息子も喜ぶが、康枝も生活に一つのリズムが生まれたような気になり、時間になると、(行こうか)と、自分から息子を誘うことが多くなった。そんな或る日、レジに並ぶ二人の前に男性が待っていたが、どういうわけか、後ろを振り返って「お先にどうぞ」と声をかけてくれる。康枝のほうは特に急いでいるわけでもないので、(いいえ私達は構いませんから)と遠慮したが、男性は優しげな笑顔で息子のほうを自分の前に押し出す形で順番を変えてしまった。

「今日もあのお兄ちゃんいるかな」マンションの地下にある駐車場に降りるエレベーターの中で息子が言う。康枝は息子に自分の心の中を覗かれたような気になって、知らず知らず動悸が早くなった。(そうねえ)気乗りのしない感じで応じたが、康枝も(居てくれたらいいなぁ)と思うようになっていた。あれから何度かマックで顔を合わせるうち、最初は息子と彼の挨拶程度の会話だったのが、次第に康枝も加わるようになり、この頃には、お互いの生活環境まで話すようになっていた。康枝のほうは、(主婦であること、夫は仕事の関係で遠方に単身赴任していること)などを、一方、男性は、藤井と名乗り、「近くの会社に勤務していること、最近は多忙で家に帰るのが深夜に及ぶためマックで夜食を摂っている事、勿論既婚で二人の女の子が居ること」などを話し合った。

男と女の出会いは理屈ではない。これまで妻以外の女性には見向きもしなかった藤井だったが、康枝をはじめて見たときから運命的なものを感じていたし、日を追うごとにその思いは強くなった。二人揃って、目指すところは一緒だったわけで、深い関係になるまで時間はかからなかった。深夜帰宅すると言う藤井を送って行く。と言い出したのは康枝のほうで、藤井も形ばかり辞退したが、ある夜から助手席の人となった。藤井の勤務先から彼の自宅までおよそ30分。しかし、次第にその時間は延長され、1時間、3時間、そして遂に朝を迎えることになってしまった。------