探偵物語 22

探偵日記 8月1日金曜日 晴れ

早いもので今年も後半に入って2ヶ月目。良く昔から2,8といって商売が振るわない月とされていた。2月は28日しかないため当然売上に響くということだろう。では8月はというと、猛暑のせいで人の外出も少なくなって、購買が貧するのだろうか、僕的には、お盆休み等で集中できないからかなと思っている。今日からその8月が始まる。個人的には郷里の山口に帰省する予定で、車で帰ろうか新幹線にしようか迷っている次第。同級生からの連絡で、8月13日水曜日、下関でゴルフコンペが開催され、僕もそれに参加する。思えば、50年以上前、青雲の志を抱いて上京したのだが、結果的にはしがない「探偵」となって、古希を迎えた今も色々と苦労している。人の人生は幸不幸、運不運は相半ばすると言われるが、幸せはともかく、運の良かったことが有っただろうか。まあ、今まで大きな病気もせずに生きてこれたのだから、(運が良かった)と言えなくもないが、それにしては小さな運だこと。宝くじもちょっとの違いで7億円が10万円になり、競馬だって前のレースで得た170万円を、次のレースで0にするなど中途半端すぎる。バブルだって、気がついた時ははじけてて、さほどの恩恵によくすることなく、むしろその後の苦労だけが心身ともに疲弊させた。女房運は?これには触れないほうが身のためだろう。(笑)

探偵物語 22

一匹狼だった僕も時代の趨勢には逆らえず一人、また二人と同業者との知己が増え昭和62年、出来たばかりの協会に入った。その頃は15年以上の業歴が有ったことや、事務所の規模も大きかったことなどで、いきなり理事に推薦された。それからというもの、色んな会合や理事会に顔を出し、新宿の福田、或いは、テイコクの福田と少しは知名度も上がっていった。そして、昭和63年9月、主管を警察庁とする社団法人が誕生し、晴れて、探偵業が正業として世間に認知されることになった。明治28年、元警視庁の刑事だった「岩井三郎」氏が日本橋に事務所を出して、実に、一世紀近い年月を要したことになる。しかし、それで業容面が改善されたわけでもなく、むしろ活動が制限され商況も悪化した。と、僕は思っている。昨日、仲間からの暑中見舞い状に書いてあったが、(我々が経験したことのない環境となった)と。転換期といっても良かろう。主管は取り締まることばかり考え、協会の執行部はお上品に、お上品に。構えている。新しく独立開業してくる若い人を指導し、業績の向上を支援するような姿勢は感じられない。こんなことを言うと顰蹙を買うかもしれないが、「探偵」が銀行マンみたいにお上品ななってどうする。勿論、遵法の精神は持たなければならないが、(黄色の信号で停車する)探偵に尾行調査を依頼する人が居るだろうか。ーーーーーーーーーーーーー