探偵物語 24

探偵日記 8月5日火曜日 晴れ

間もなく夏季休暇がやってくる。遊び下手な僕など、(大型連休)はかえって迷惑で、GWとかお盆休みやお正月は無いほうがいい。とは言っても、お盆には郷里の山口で恒例のゴルフコンペが開催される。実は、今年のGW車で帰省したのだが、同行したタイちゃんの具合が悪くなって心配した。それからというもの、日々の様子を観察しているが、やはり高齢のせいか日替わりで元気の無いことが分って、長距離の車での移動は無理かもしれないと思うようになった。というわけで、今年のお盆は僕だけ新幹線で帰る事になりそうだ。もっとも、そういう僕だって片道1100キロ、15時間のドライブは体にこたえる。もう若く無いという現実を痛いほど知らされた。
阿佐ヶ谷の街は6日から始まる七夕祭りで徐々に賑わいを増している。中杉通りやパールセンターには色とりどりの飾りが舞う。年寄りの僕は人ごみが辛いので七夕見物等滅相も無いが、商店街の若い人たちは多いに盛り上がっているようだ。今日は今夏一番の暑さだという。久しぶりに車を洗って出勤した。

探偵物語 24

そんな協会もめまぐるしく人事が変わり、やがて、元警察出身者から我々一般の業者がトップに着くようになった。僕の考えは、可能な限りOBに役職を提供したほうが良い。と思っているのだが、人という生き物おしなべて名誉を欲しがるようだ。しかし、そうなれば主管も面白くない。ある時期、距離を置かれた。と、僕は感じた。平成6年、僕はある依頼案件に絡み逮捕された。(何も疚しいことはしていない)と思っていた僕は(いい休養になる)ぐらいの気持ちで拘留されたが、品川署から東京拘置所に移って間もない或る日、当時の副会長原田侑典氏が面会に来た。通り一遍の慰労の言葉を言った後、申し訳なさそうに言う「福ちゃん、大変申し訳ないんですが理事を降りてくれませんか」と。彼に言われなくてもそのつもりでいた僕は、部屋に戻って辞任届けを書き、会社に送り、捺印して事務局に届けてもらった経緯がある。出所後、理事全員が歌舞伎町で慰労会を催してくれたが、アイアイサービスという探偵社の社長だけは「福田の会社を協会からはじき出すべきだ」と理事会で発言し、他の理事の猛反発を買い、結局協会に居られなくなって自ら退会してしまった。アイアイサービス社は当時とかくの悪評があって、その為かどうか判らないが、新宿署の署長までした人物を社長として招いていた。新宿の署長といえば「警視正」である。その人が、僕を協会から追い出そうとした。

その頃、東京都調査業協会の会長は、仲間の一人(と言っても年齢は僕よりうんと上だが)で、副会長は僕のポン友だった。理事は外れたが何かと呼び出され、夜になれば毎晩歌舞伎町を闊歩した。彼らの口癖は「理事に返り咲いてくれ」というものだったが、僕自身は全くその気が無かった。当時の僕は月一回の理事会さえ億劫だったから、二度とゴメンだ。と、考えていたし、(前科者が理事じゃあ主管に楯突くようなもの)とも思っていた。そんなことより、翌平成7年から再び我が事務所にバブルが到来したのである。