探偵日記

探偵日記 1月23日金曜日 晴れ

朝5時に散歩に出る。雨は止んだばかりらしく、まだ路面はしっかり濡れていて、タイちゃん迷わずに高架下へ。25分ぐらいで終了。8時まで寝る。
広島班が早朝の調査を終えて帰って来る。依頼人の弁護士からも電話が入り来週早々の報告を約束。来週は名古屋の件も報告する予定なので資料作りにため早めに事務所へ。10時過ぎ新宿一丁目の事務所に到着。

新宿・犬鳴探偵事務所 3-2

 或る時、経験豊富なはずの和久田が失尾して事務所に戻って来た。「すみません。警戒されて変な動きをするものですから」と言い訳をする。犬鳴が(どうして?だって、今日が初日だろう、警戒するはず無いだろう。じゃあ何処で変に思われたんだ。)と聞くと、「分りません」と言う。和久田の言い分は、マルヒの運転が変則的になったので、用心して間隔を空けたため見失ったらしい。ちょうど、ほぼ全員揃っていたので良い機会だと考えた犬鳴は(馬鹿野郎、そんなことがわからないようなら探偵なんて辞めちゃえ、蕎麦屋の出前持ちにでもなったらどうだ)大声で怒鳴りつけた。全員固まって目が点になっている。日頃元気のいい和久田は涙目になってしおれる。大きな声で叱るのは初めてといっていい。犬鳴は調査員を叱かる時も、そうか、そうか、失敗は成功の源、セイコウは妊娠のもとっていうからな。なんて、冗談交じりに優しく云う。一般に、気の弱い調査員は黄信号で停車する。赤信号なら、例えマルヒの車両が走り去ろうとも躊躇なく停まる。蕎麦屋の出前持ちならそれでいい。

 マルヒの柳原隼人、年齢三十三歳。なかなかの好男子である。身長175センチ位、中肉で色白、頭髪は真ん中から左右に綺麗に分けて、歌手の布施明をもう少しにやけさせたような顔をしていた。高そうなジャケットに薄手のマフラーを首に巻き、全体に育ちの良さを思わせた。十分も歩いただろうか、外苑東通りと新宿通りが交差する四谷三丁目の信号をスクランブルに渡り、四谷方向に少し行ったところにある「杉大門」通りに入り、通りの入り口にある通りと同じ名前の喫茶店に入った。徒歩尾行の調査員全員後方に待機し、富士銀行(現在のみずほ銀行)前に車両班の車も確認できた。

 犬鳴は、徒歩尾行のチーフの和久田に(俺はちょっと店に入ってすぐ帰るから後は頼むよ)と言って、少し間隔を空けて通りと同じ名前の喫茶店に入る。多分、ソバージュの工藤沙織も居るはずだ。「杉大門」という喫茶店は、見た目以上に狭くカウンターと、四人掛けのテーブル席が五つ。犬鳴はカウンターに座ってコーヒーを注文する。ママは一目見て沖縄か鹿児島の出身と分る濃い顔をして驚くほど愛想が無い。おそらく亭主だろう、こっちもにこりともしないで、客のオーダーに返事もしない。後で、このママが友人の叔母であることを知ったのだが、勿論この時はそんなことは分らない。

 案の定、奥まった席にマルヒとソバージュが居た。依頼人の言うような、マルヒは怖がる様子も見せずソバージュと歓談している。ソバージュ牛子も可愛く見えた。むしろ、(いい女)の部類に入るだろう。依頼人に比べ体付きはやや骨ばっているが、その分野生的で性的なフェロモンを感じさせた。犬鳴は(亭主ってやっぱり女房と真逆のタイプをもとめるのかなあ~)などと、思いながら、喫茶店杉大門をあとにした。それにしてもどうするつもりなんだろうか。不倫相手の工藤沙織は、もし柳原と結婚できたなら超のつく玉の輿だ。彼女が必死になるのも十分頷ける。最近でこそ、医者の価値も疲弊し、さほど有難がられなくなったみたいだが、当時は、女性が自分の夫とする対象の上位であることは周囲も認めるところで、特に、病院に勤務する女性は奴隷か召使(看護婦さんには大変失礼だが)みたいなもので、職場の医師に口説かれれて断る者など居なかった。と、犬鳴は勝手に思い込んでいる。余談だが、犬鳴の後輩にちょっと不良な奴が居て、彼は大手のデパートに就職したのだが、数年後ひょんなことから再会し飲んだ時、その後輩曰く、「先輩、デパートって夢のような職場ですよ。僕は入社十年余りで、二千人くらいの女性としました。」後輩は、自分が勤務するデパートに出店する様々な会社の派遣店員はまさに口説き放題だそうだ。犬鳴は聞きながら、悔しさの余り、(そんなことはあるもんか)と思ったが、真実は分らない。
結局その後輩は多重債務者になりデパートも辞め郷里に帰った。と、人づてに聞いた。本件のマルヒ柳原隼人はどうだろうか。犬鳴の後輩のように、手当たり次第とは思えないが、相当な女好きに見えた。ハンサムで高収入のうえ社会的信用も申し分ないとなれば、看護婦ならぬ他の女性たちも放っては置かないのではないか。やはり、自他共に認める女好きの犬鳴には、溜息の出るような男である。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー