探偵日記 3月17日火曜日 晴れ
今日は本当に暖かい日だ。下着を薄手のものにして、ジャケットだけで外出する。10時20分、事務所に着く。昨日の尾行調査の報告を聞きマルヒの真面目な様子に安心する。6~7歳年下の夫を持つと何かと不安かもしれない。今はまだ、33歳と40歳だからいいが、夫が男盛りの40歳半ばのとき、妻は50を過ぎることになる。何よりも怖いのは、更年期障害で、訳も無く妻が夫婦関係を拒んだりする時期であろう。僕の知っているご婦人もセックスレスになったらしい。中には、(お金を上げるから風俗に行って)と懇願する女性も居るとか。まあ、僕みたいなチャランポランな男なら千載一遇のチャンスとばかりに大喜びするかもしれないが、ほとんどの夫はひざ小僧を抱えて悶々とするばかりだろう。夫婦が長年仲良しで過ごすのは本当に難しい。
新宿・犬鳴探偵事務所 8-3
案の定と言うか、想像通り女性のバックが、高柳に(会いたい)と言ってきた。日時が決まり、場所は京王プラザホテルのラウンジになった。向こうもこちらの事を調べたようで、電話では丁寧な物言いだったようだ。その筈である。高柳自身も売り出し中のイケイケで、その実父はその世界で知らぬ者の無い大物だ。仮に全面戦争になれば、関東のS会を相手にしなければならない。首謀者の女性は、I会系の幹部の関係者とは言え、(元、妻)である。その幹部には、現在、若くて美人が女房に納まっている。相談を持ちかけるほうも、される方もいくばかりかの恩讐があるはずだ。
その日が来た。朝からホテルの周りは異様な雰囲気に包まれている。高柳と犬鳴はちゃんとしたスーツ姿だが、三十名以上居る隊員は皆戦闘服を着ていた。それらがラウンジやロビーのあちこちにたむろし、いざと言う時に備えている。やがて四人の、見るからにそれと分る男たちが現われ、犬鳴達の前に座った。まず高柳が仁義を切る。相手の頭と思われる男も名刺を出して名乗った。意外にもI会ではなく、関西の某巨大組織の枝で、東京に進出しているある組の人間だった。I会系の人間が出てくるとばかり思っていた犬鳴と高柳は少々勝手が違った。
のっけから、「あの店のケツもち(その店で何か揉め事があったりした時、防波堤になってその揉め事を収める役割)が私のところってご存知でしたか?」と言って威嚇する。向こうは向こうで、下手をすると神戸を相手に喧嘩することになりますよ。と、暗に仄めかしているのである。
今度は高柳が不敵な面構えで応じる。(勿論承知していますよ。店で暴れた落とし前はきっちりつけさせてもらいますから、あの店を含むSグループの全店を返してもらいたい。まあ、今日までの凌ぎは目をつぶりましょう)そう言うと、相手はちょっと怪訝な表情をした。犬鳴は、(ああ、こいつら事情を知らずに今度のことだけで出てきたんだな)と察し、(隊長、ちょっと俺から説明させてくれよ)と断って、その男に名刺を渡し、(今日はご苦労様です。まあ折角出てきてもらったんで子供の使いにはしませんから私の話を聞いてください。)と、前置きをして、これらの店は本来Sグループの経営で、事情があって責任者が不在の時、貴方の依頼人が横取りしたもので、大ごとにするとみなさんの面子と言うか、今後の凌ぎに差し支えると思う。だって、歴としたヤクザ者が泥棒の手助けをしたんじゃあ恥じでしょう。と言って、男の顔を(それでも、うだうだ言うんなら懲役をかけてやるぞ)と言うぐらいの気迫で見つめた。
これで勝負あった。面構えは一級でそれなりのヤクザであろうが、如何せんややお頭が働かないようで、犬鳴に返す言葉も見つからない。らしく、他の連中と顔を見合わせている。「分ったあんたの話を持ち帰って依頼者と相談します」最後はバカ丁寧な言葉で、それでも肩を怒らせてラウンジを出て行った。
西が出てくるとは思わなかったですね。高柳も面食らったようだったが、このまますんなり返してくるとは思えず、(何か動きがあったら連絡する)ということでこの日は別れた。
翌日、昨日の男から電話がかかり、「本部の偉いさんが犬鳴さんに会いたって言うんだけど」と言ってきた。犬鳴は面倒なことは早いほうがいいと考え、昨日のホテルで良いか。と言うと、「結構です」と言う。じゃあ今夜8時に。という約束をして、すぐに高柳に連絡する。高柳は「じゃあ自分も同席する」と言うのを、(いや、今夜は俺一人で話を聞いて来るよ。向こうも、俺の後ろにあんたが控えているのは分っている事だし、まあ、あんまりこじれるようなら頼むから)と応え、高柳も「歌舞伎町で飲んでますから何時でも連絡下さい」と言って電話を切った。ーーーーーーーー