探偵日記 4月4日木曜日晴天
2日間の天気が嘘のような朝を迎えた。5時40分、タイちゃんを連れて外に出る。もう10度以上であろう、清々しい夜明けである。今日の日中は20度を越すとの予報なので、急遽春夏兼用の服を出す。10時過ぎ、薄手のスーツを着て颯爽と家を出る。阿佐ヶ谷の駅に着くまで珍しく誰とも会わなかった。
犬鳴探偵事務所 28
犬鳴は時々考える。政治家や大企業のトップ達はどうしてこんなに脇が甘いのだろうかと。最高学府を出て、それなりの努力をした結果、一握りの者しか到達しない栄光のイスに座る。成長過程や社会に出てからも羽目をはずすことなく来たのだろう。終着駅ともいえる立場になった途端箍が外れてしまうのだろうか。極めてみっともない状況を自ら作ってしまう。数ヶ月前、外資系企業のトップが痴漢で逮捕された。彼は、ゆうに還暦を越え、勿論妻子も居る。もしかしたら、結婚前のお嬢さんだって居るかもしれない。例えば、脱税とか、贈賄であれば、少なくとも妻は子らに何とか言い繕うことも出来ようが、痴漢では助けようも無い。おかげで、その人は、数千万円の年収と、本業以外の名誉職まで失った。まあ痴漢は擁護しようもないが、(浮気)位なら、場合によっては笑って済ませるかもしれない。ゴメン。
ただ、もう少し上手くやってもらいたい。少なくとも我が妻には絶対知られないよう注意に注意を重ねてするべきである。それでも、探偵にかかるとあっという間に暴かれてしまう。犬鳴が常々言うところの(日本人に最も欠如しているものは、危機管理と防衛の意識)である。犬鳴探偵事務所28からは、晩節を汚さないためにも、読んだ人は是非心に留めて欲しい。
T社長の自宅は鎌倉にある。しかし、多忙を理由に港区内の超高層マンションで仮住まいしていた。妻は三日にあげず訪れ、掃除や洗濯をして帰るようだった。調査員は、調査初日の朝、まず仮住まいのマンション前で張り込みを開始。人相は依頼人が出版している怪しげな雑誌に出ていたし、その他、一流経済誌や新聞でお馴染みの顔である。したがって、勤務先からでも良いと思うが、マルヒはひとかどの人物である。普通のサラリーマンと違い出社や退社の時間は不定期な筈だ。とりあえず出社の状況を把握したい。08時50分、黒塗りのハイヤーがマンション前の玄関に横付けされ、間もなく、見るからに余裕綽々な紳士が玄関に現れる。すでに車を降りて待っていた運転手が、恭しく出迎え左側の後部ドアを開けて、腫れ物に触るようにして乗せる。
この頃は、社用車よりハイヤーを利用する会社が増えていた。契約しているハイヤー会社から専属の車両と運転手を差し向けてもらうのだ。これで、Tの使用車両が分った。
数日後、何時ものように麻雀をしている犬鳴に調査員から連絡が入った。「所長、マルヒは品川プリンスに入りました。」(ああそう、宴会かな)「違います。フロントに寄らず真っ直ぐ部屋に行きました。」(キーは)「ポケットから出してマルヒが開けました」(よし分った。後から女が来る筈だから、女の身元を確認してくれ、ああ、それから写真もな)何しろ、ポン、チーしながらの会話である。短く済ませたい。それに、犬鳴以外の三人はいずれもヤクザ者である。固有名詞など言えない。それでも電話を聞いていた一人が「何やワンちゃん。おもろそうな話やんけ」と、笑いながら言う。こいつは、関西方面の某組の幹部だったらしいが、ミスをして破門になっていた。嗅覚は鋭く何でも食いついてくる。
翌日、事務所で報告を受ける。調査員の話によれば、午後5時過ぎ、ハイヤーで送られたマルヒはフロントでキーを受け取ることもせず、直接部屋に入り、10分後やってきた妙齢の美女を招じ入れ、0時まで過ごしたらしい。犬鳴は指を折って数えてみると7時間だ。マルヒは還暦を越えているはずだ。(飯は食わなかったのか)「ルームサービスでお寿司を取ったみたいです」調査員は交代で廊下に佇み監視していたようだ。0時近くにTが部屋を出て、直後に女性が出てタクシーで帰宅したという。------------