2月27日水曜日小雨
今朝は本物の目覚ましで起きた。時計を見ると6時だった。あれ~タイちゃんはどうしたのかな?と思って廊下に出ると、大人しく伏せをしていたが僕を見て(あ、パパだ。散歩だ)とばかりに飛び跳ねて喜んだいる。犬でも雨の朝は良く眠れるのだろうか、僕を起こしに来なかった。雨の日の定番になっている中央線の高架下に駆け込む。ところが、時間がちょっと遅かったせいかあっちこっちに散歩中の犬がいる。最近目も鼻も衰えているので遠くにいる犬には反応しないが、数メートルに近づくと途端に吠え始める。中にはタイと似た子もいて一緒になって吠え出す。お互い(すみませんね)と言いあって別れるのだが、何しろ高架下の一本道である。行きに遭って、帰りにまた遭遇する。タイはタイで、鞄を持った人を見ると、犬を連れていると勘違いし、キッとした目で誰何する。30分もすると僕も疲れたので、(タイちゃんお家に帰ってご飯食べよ)と言って早々に帰宅した。
僕も朝ごはんを食べて、2,3用事を片付けて事務所へ。------
犬鳴探偵事務所 3
犬鳴は東京オリンピックの前年上京したが、最初から探偵を目指したわけではない。折角入った大学を中退し、何の目的もないまま刹那的に生活していたところに、後年上京してきた生母(あとで詳しく説明するが犬鳴には二人の母がいる)が、兄で、犬鳴の叔父に当る人に頼んでこの業界に入ったものである。当時の叔父は、日本最大の調査会社で調査部長をしていた。当時は、帝國興信所といい、今は、帝國データバンクに変わっている。そんなわけで、最初はいわゆる興信所的な仕事、例えば、A社に依頼されてB社を調べるといった企業の信用調査が主な業務だった。ここで2年辛抱したが、叔父の許可を貰い神田にある「東京探偵事務所」に移った。
犬鳴の叔父はダンディな人で、興信所の調査員には珍しく社交ダンスの教師もしていた。仕事が終わると、机からダンスシューズを取り出し、「おい、吾朗踊りにいこう」と言って、その頃賑わっていた新橋のダンスホール「フロリダ」に良く行ったものだった。しかし、暫くすると「春枝が、お前にダンスを教えると気違いに刃物になるからやめてくれっていうんだ」と言って誘われなくなった。春枝というのは僕の生母だが、彼女がそんなことをいうはずは無い。だって、常々、「吾朗あんたダンスぐらい出来なきゃあだめよ」と言っていたのだ。おそらく叔父は、吾朗にダンスの素養がないと見極めたのだろう。吾朗自身も、歌を唄えばオンチ気味だし、踊っていても何となくリズムに乗り切れないと感じていたので、叔父には残念そうな顔をして承知したものの本心は(ああ、良かった)と思っていた。
犬鳴は叔父の本心はともかく、自分がしっかりダンスなぞ覚えようものなら、今でさえ女性問題が絶えないのに、ダンスを武器にますます派手に遊びまわるだろう。そうしたこともあって、その後、犬鳴はダンスと縁を断った。犬鳴は決してハンサムではないがとにかく良くもてた。一つには非常に口が上手く、加えて、小まめである。犬鳴は常々、女性にもてる最大のコツは小まめに限る。と思っていた。いくら美男子でお金持ちでも、(来るなら来い)という感じでは女性に敬遠される。おしなべて、女性というものは自尊心が強く臆病である。したがって、まず(私はこの男に惚れられている)と思ってもらわなければならない。次が波状攻撃である。特別な用もないのに繁々と電話する。それも同じ時間帯にすることだ。毎日毎日、お昼休みに電話がかかってきてたのに、その日に限ってなければ(どうしたんだろう)と思うのが一般的な心理であろう。しかし、相手にその気がなければ別だ。煩くかかってきていた電話が無くなれば(あぁ良かった)と、ほっとされるのがおちである。反対に、人間不思議なもので、毎日同じ時間に連絡があれば気持ちの何処かに(待つ)意識が生じる。職場でも同僚から「あら、今日は定期便は無いのね」なんて冷やかされる。そして、あくる日も、そのあくる日もかかってこなければどうだろう。もしその相手の電話番号を知っていたならばかけてみたくならないだろうか。
話を元に戻す。「ワンちゃんご飯食べに行こう」と言って犬鳴を誘った依頼人は、犬鳴に特別な感情があって誘ったわけではないし、犬鳴のほうも上客として大事に接してきたがそれ以上の意識は持たなかった。何より(依頼人と特殊な関係になってはならない)というセオリーを守っていた。依頼人の婦人、名前は井口早苗と称す。数ヶ月のやり取りで、彼女が世田谷区内の大地主の一人娘で、不倫をしている夫は婿養子、二人の間に子供はいなかった。夫の守は小作人の家の三男で、庭師の見習いで井口家に出入していたところを、早苗の父親に認められ逆玉で早苗の夫になり、この頃は、形ばかり造園業のようなことをしていた。程度の知識は得ていた。そして、婿養子で大人しいばかりの夫は、岳父が亡くなるや本性を現した。妻に対する言葉もぞんざいになり、夜遊びを始め、同業で、遊び仲間の会社に勤務していた未亡人と深い関係になったらしい。
東京オリンピックを弾みにして日本は高度成長期に入った。池田隼人総理大臣が「貧乏人は麦を食え」と、問題発言し、マスコミは差別的な発言だと庶民を煽ったが、池田の云った言葉の真意は別なところにあって、貧乏イコール麦飯ではなかった。その証拠に、その後、健康に良いと我々は好んで麦ご飯を食べている。(安い上に体にも良い麦ご飯を食べて頑張って下さい)というほどの意味だったと犬鳴は勝手に解釈した。次に、今太閤ともてはやされた田中角栄が総理となって打ち出した(列島改造)によって、建設業をはじめ不動産、鉄鋼、資材関連など軒並みに好調となり、相乗効果で株式も暴騰し、昭和50年の半ばから異常な経済状況を展開、後に、この時期を(バブル期)と、人は呼んだ。
犬鳴と井口夫人が入った「あみもと」という店は、新宿駅東口から靖国通りを越え、歌舞伎町のさくら通りを2~3分進んだ突き当たりにあった。小料理屋といっても大小の宴会をこなせるぐらいの大店で、歌舞伎町で、(夜の帝王)と呼ばれるぐらい(それほどではないが)飲み歩いていた犬鳴は知っていたが、この日は、井口夫人が案内した。夫人は馴染みの店らしく数人の仲居が親しげに挨拶して通り過ぎた。二人は小部屋に通され、井口夫人はビールやつまみ等てきぱきオーダーし、「ワンちゃん乾杯」などと、機嫌よく飲み始めた。
暫く他愛の無い話を続けていた井口夫人が、少し改まった感じでこんなことを言ってきた。「ねえワンちゃん私のことどう思う。ううん、女としてってことじゃあないわよ。私が依頼してきた仕事のことだけど、ワンちゃん前に云ったわよね、もう調査はやめましょうって。でも私は続けてきた。そのことだけど」と言って、夫人はなぜか探るようにじっと犬鳴を見つめた。(どうって、貧乏事務所にとって井口さんは神様みたいな人ですよ。感謝しています。)犬鳴は、適当にっていうか当たり障りの無い返答を返した。「そうよね。すっかり事情は判っているのに、どうしてかな、私っておかしいのかしら」夫人はそう云って少し笑い顔になり、「まあ、ワンちゃんのことを気に入った。ということもあるのよ」という。
さらに、「ねえワンちゃん私のことずっと面倒見てね。」と言う。犬鳴は、(勿論、僕でよければ死ぬまでお付き合いしますよ)と応えたが、正直なところ夫人の気持ちを量りかねていた。すると、「こんなこと云うと失礼かも知れないんだけど、ワンちゃんの事務所って狭すぎるんじゃない。」夫人は酔った勢い。という感じでそんなことを云う。犬鳴は、井口夫人に限らず依頼人に対し、暗に、(調査部は別な場所にある)という空気を作っていた。はっきり、どこそこに有ります。といったのでは嘘になる。相手が想像するのは勝手だ。しかし、井口夫人には通じなかったようで、「これも余計なことだけど、私がお金を出すから広いところに移っちゃいなよ」と言ってきた。---------