犬鳴探偵事務所 2

2月26日火曜日晴れ

今朝も6時に目覚まし時計、否、タイちゃんに起こされる。すぐに着替えて散歩に出た。あれっ、と思うぐらい暖かな朝だ。のたりのたりと1時間、朝ごはんを済ませ早々に事務所へ。このところ真面目に生活している。ああそうだ。と思い出し車で出て、ヤナセに行く。僕の愛車も10万キロを越えている。だからといって走りに何ら支障はないが、会社で(そろそろ取り替えたら)と言う。僕的にはまだこれでいいと思うのだが、これ以上乗ってると次から次にパーツを取り替えなければならないだろう。GWにはまた片道1100キロかけてドライブしなければならない。支払いのことを思うと少々気が重いが「時期」かなとも思う。

ヤナセで査定してもらったら、下取り価格で4~50万円でしょうと言う。担当者に、(僕は車を売りに来ているんじゃあないよ、またここで買うつもりなのにそんなに低いの?)と食い下がるが、相手は、慇懃に「8万キロを超えますと」とおっしゃる。とにかくデーラーは狡い。修理なんかお手の物だからちょこっと直して100万円以上で転売するはずである。新車を売って、下取り車を売って二重に儲ける魂胆だろう。(よし、調査員に頼んでガリバーで査定してもらおう)-----

犬鳴探偵事務所 2

昭和60年春、貧乏探偵の犬鳴に一大転機が訪れた。(何でこんなに仕事が入ってくるんだろう)と、訝しく思えるほどひっきりなしに問い合わせがあって、次々に受件に結びつく。もう一匹狼なんて気取っていられなくなった。読売新聞に小さな募集広告を出したら、ワーという感じで応募が殺到した。一度に7~8名採用したものの座る場所もなかった。仕方なく、当時、事務所にしていたビルの1階にえらく広い喫茶店が有ったので、そこで待機させることにしたが、採用された者たちは驚いたことだろう。そのころ犬鳴の事務所は5,5坪しかなかった。所長の犬鳴が報告書を書くための机が一つ、4人掛けの応接セットと、書類棚でもう一杯である。事務の女の子は、犬鳴の居ないときは机に座り、それ以外は応接セットで読書をする。万一来客でもあろうものならユニットバスの中に隠れる有様で、笑い話にもならない。

したがって、調査の打ち合わせなどは、喫茶店で行った。調査員らにはポケットベルを持たせ、(30分以内に事務所に来れれば何処にいて、何をしててもいいから)と言うのだが、そんなことしたら給料が貰えないのではないかと不安なのか、誰一人として勝手な行動を取らず大人しく喫茶店で待っている。喫茶店の支配人やボーイ達とも仲良くなり、ボーイの一人が(探偵になりたいから採用して欲しい)と言ってきたので即決で採用した。だから、今まで犬鳴と女の子だけだった犬鳴探偵事務所は、あっという間に10人の大所帯になってしまった。

ある時、事務の女の子(女の子では可哀想だから名前で呼ぼう)の高子が云う「所長、隣の部屋が空いたみたいだから借りましょうよ」犬鳴も限界を感じていたので(そうしょうか)と応じていたところに、全く思いがけない方面から救いの手が差し伸べられた。

少し前、犬鳴探偵事務所の広告を見たという婦人から、夫の素行調査の依頼を受けていた。数日の尾行調査で相手の女性が判り、その女性の身元調査も終え、これで1件落着かと思っていた犬鳴だが、ほとんど毎日のように電話をしてきて「犬鳴さん今日もやって」と、尾行調査を指示してくる。犬鳴としては、もう面白くもなんともない。仕事を終えたマルヒがその女性の家に行くのを、ただ確認するだけの、(子供でも出来る)作業である。少々うんざりした犬鳴は、(奥さんもういいでしょう。証拠は十分取れたし、相手の女性に損害賠償でもすればびっくりして別れるかもしれませんよ)と言うのだが、依頼人は、今日も明日も明後日も。という感じで頼んでくる。事務所はこの依頼人が支払う調査料だけで十分経費が賄えるほどだった。

また、暇なのかよく事務所訪れる。犬鳴が居ないときでも高子を相手にお喋りして帰るようだ。数ヶ月すると、何だか親戚のおばさんみたいになって、口の上手い犬鳴は、自分の田舎のことや幼い頃を面白おかしく話すものだから、有閑マダムは大喜びして帰ってゆく。そんな或る日のこと、おばさん。じゃあなくて、依頼人が「ワンちゃん、ご飯でも食べない?」と誘ってきた。この頃には、依頼人は、犬鳴のことをワンちゃんと呼ぶようになっていた。ちょうど腹もへっていた犬鳴は、二つ返事でOKし、歌舞伎町の小料理屋に行ったのだが。-----