犬鳴探偵事務所 1

2月25日月曜日晴れ

安倍総理が帰国した。彼は僕の郷里を選挙区としている。僕の先輩がご尊父の秘書だったこともあって、特別な親しみを抱いて見守ってきた。奇跡的に返り咲いてからの彼は、文字通り一皮向けた感じで、発言や振る舞いに自信が感じられ、まことに喜ばしい限りである。今朝の朝刊を見ると支持率が70パーセントの由。このまま大過なく推移し、叔父佐藤栄作元総理の在任7年の記録を上回って欲しいものである。それには何より景気を回復させて、国民の信頼を確固たるものにして頂きたい。

一方、わが貧乏探偵事務所の景気はいま一つで、兆しの見えてきた好景気上昇感とは程遠く、今日の給与の支払いもヨッコイショという感じで凌いだ。まあ、探偵事務所が儲かるようでは世間に申し訳ないかもしれない。程ほどで良い。と僕は思っている。

今朝も猛烈に寒い朝だった。鎮痛剤を飲んで寝たせいかぐっすり眠れて、6時にタイちゃんに起こされた。彼は元気一杯である。(よーし散歩だ)と思っているかどうか分らないが、僕の顔を見るなり飛び跳ねて喜ぶ。そんな我が家の犬に励まされながら早々に家を出て事務所に着いた。ーーーーーーー

犬鳴探偵事務所 1

下関から京都を結ぶ「山陰本線」は、途中、萩や松江、出雲や鳥取砂丘を経て進むが、山口県の西岸の美しさは特出している。中でも、玄界灘の小灘である「響灘」に落ちる夕日は格別で、日中、山陰本線を走る「みすず号」(詩人金子みすずから命名した観光列車)から眺める海と、遥かに望む島々も情緒にあふれたものである。同じ日本海でも、能登に代表される北陸のそれとはやや趣が異なる。冬ともなれば、穏やかな海も荒波が押し寄せ、吹きすさぶ西風は漁師を苦しめる。
下関を出て、うら寂しい単線を小一時間進むと、雑木に混じって松林が見え隠れし、その隙間に幾つもの小さな漁村が現れる。綾羅木、小串、湯玉、二見、特牛、対岸が朝鮮半島ということもあって、彼の国に因んだ地名も多い。海岸と、鉄路を間にして、なだらかな山に挟まれた僅かな寒地があり、漁師らの粗末な塒ともいうべき家々が、肩を寄せ合うように建ち並び、それぞれの集落を形成している。それでも、収穫の魚が引き上げられる早朝の一時は、澄み切った朝の空気を裂くようなせりの声が、一日の始まりを告げるものの、昼間の漁港は死んだようにひっそりと佇む。

青い海と灰色にくすんだ堤防に、白い船のコントラストの美しい狭い湾を防波堤が囲み、その中に、大小様々の漁船が停泊している。そんなさびれた漁村のはずれに、うっかりすると見過ごしてしまいそうな標識に、小さな字で「犬鳴」とか書かれた峠があり、峠に沿って海岸に伸びる岬が、湾の左側を、海に挑戦するように突き出ている。村人は、荒岩で出来たこの小さな出っ張りを「犬鳴岬」と呼んでいた。

私立探偵犬鳴吾朗の探偵事務所は新宿二丁目にある。平成元年、詳しくは、昭和64年1月、天皇陛下崩御により年号が変わり、テレビで時の官房長官小渕恵三が(平成)と書かれた白い紙を頭上に掲げ、「新しい年号が決まりました」といったのが数日前であった。所長の名前をとって、名付けた「犬鳴探偵事務所」は、これより二十年前開業している。犬鳴吾朗30歳の時である。腕はいいが経済観念の乏しい犬鳴は、いわゆる一匹狼を気取り、少し前まで僅か5坪のワンルームを事務所にして、留守番の女子事務員一人を置き、調査の仕事が入ると大概は一人でこなし、どうしても人手の必要な時は事務の女の子を拝み倒して現場に立たせ、それでも駄目な時は、かって働いていた探偵事務所の同僚に鋤けてもらっていた。といっても、犬鳴が特別ケチというわけではない。むしろ気前の良いほうで、仲間と飲みに行けば必ず彼が勘定を持ったし、貧乏なくせに見えっぱりの犬鳴は毎日のように歌舞伎町界隈を飲み歩く。バーやクラブの女の子たちの間では人気者であった。そんな犬鳴は仲間から(ワンちゃん)と呼ばれている。ーーーーーーー