犬鳴探偵事務所 36

探偵日記 4月17日水曜日晴れ

どうも、我が犬鳴探偵事務所は年度末や4月の調子が良くない。今では、年行事みたいになってきた懸念すらある。僕自身もバイオリズムが落ちているらしく麻雀の成績も芳しくない。他の面子には(俺は遊びに来ているんだ。)なんて見栄を張っているが、自分自身でも(なんで?)と思うぐらいやることなすことチグハグである。日曜日、阿佐ヶ谷のゴルフコンペ(サンサン会)で、栃木県小山市に行くが、コースの近くに小さな神社がある。ちょっと車を停めてもらって頼んでこよう。(笑)

犬鳴探偵事務所 36

新しい事務所は市ヶ谷の防衛庁(今は防衛省)のはす前で、都営地下鉄「曙橋」及び、丸の内線「四谷三丁目」駅に近く、通勤の便も悪くなかった。むしろ、オカマの町で有名な新宿二丁目に比べればうんと良い環境と言えた。おかしなもの。というのか、犬鳴の運の強さか、移転する少し前から調査依頼が多くなり、平成元年から始めた社員のための海外旅行も中断することなく続けられた。この年は、うんと気張ってパリに行くことになった。例によってシーズンオフの11月下旬、一行は成田から空路ブリュッセルに到着。翌日、バスで花のパリに入った。

無事帰国した翌日、雀荘や歌舞伎町で良くニアミスするS会のヤクザに「ワンちゃんちょっと手伝って欲しい事があるんだけど」と言われた。もともと、ヤクザ映画は好きだが本物のそれは敬遠したい。と思っているが、ちょっと可愛い奴だったので承知した。「こっちの依頼人が夜中じゃあないと時間が作れないので、どっかで時間を潰しててくれ」と言われ、少々億劫だったが、午前2時、指定されたホテルに赴いた。ロビーで待っていたヤクザと依頼人の部屋へ。犬鳴は男女二人で待っていた依頼人の女性を見て、何だシャブ中か。とすぐに分かった。年齢は42~3歳か、お世辞にも美人とは言えず、痩せ細った体からは異様なオーラを感じさせた。ただ、どういう理由か分らないが、ヤクザは男よりもその女性に対しペコペコして、頭が上がらない様子であった。犬鳴が言葉を挟む間もなく面談は数分で終わり、ヤクザの(これからは犬鳴さんに協力して貰いきちんとしますから)と言う挨拶で退室した。

午前3時、犬鳴はヤクザと歌舞伎町のスナックに居た。苦し紛れに言うヤクザの話はこうだった。「ワンちゃん、あの女どう見た?あれでなかなかやり手なんだよ。山手線沿線の繁華街に20店舗以上の風俗店を経営しているんだ。それで、俺に頼んできたことは、歌舞伎町のある店を潰してくれっていうんだ。ちょこっとやってみたけどなかなか難しくて、だから頼むよ」と言う。何でも、彼が所属する組で彼女のケツ持ち(俗に言う用心棒みたいなもの)をしているらしい。犬鳴は組長も良く知っていたので、親指を立てて、知ってるの?と聞くと、ヤクザは「いや、おやじは知らない」と応える。何のことは無い、組に内緒でアルバイトしているのだ。組長は元関西系のヤクザで、所属していた組が解散したため、関東のS会系の某組に拾われた人物である。しかし、元々ヤクザとしての器量があったようで、僅かの間で一家を構えるほどにのし上がった。ただ、子分に厳しいことも有名で、満足に小指のある子分はいなかった。今、目の前に居る男も二度詰めており、おそらく近々三度目を経験するだろう。

「ワンちゃん明日とりあえず1000万円渡すから頼むよ」と言う。犬鳴は、へえ~と思った。あの鶏がらみたいな女性がこんな半端ヤクザにいくら渡したんだろう?犬鳴の特殊な感覚の部分が(金脈)の匂いを嗅いだ。

翌日、案の定というか、当たり前というか、半端ヤクザは1000万円持ってこないばかりか、その日を境にぷっつりと連絡が途絶えた。その代わり、周囲から(オーナー)と呼ばれているくだんの女性から電話があり(会ってくれ)と言う。犬鳴は、昨夜とは違う指定されたホテルに行った。昨夜一緒に居た男はおらず彼女一人で待っていた。部屋に入った犬鳴に、「犬鳴さん、私はお金がありません。だから、貴方に色んな形でご協力頂いても支払えないのです」と言う。(じゃあ何故僕を呼んだんだ)と言いかけたが、その代わりに、(分りました。まあ、彼に紹介されてこうしてお会いしたのも何かの縁でしょう。僕に出来ることであれば致しますからおっしゃって下さい。)と言い、女性の言葉を待った。

「私は、あの人に1億渡してあります。でも何もしてくれませんでした。だからもう一銭も無いのです。そうこうしている内に池袋の店に手入れが入り、私や従業員はこうして逃げているんですけど、店長ともう一人が逮捕されてしまいました。放っても置けないので弁護士さんを紹介してもらいたいんですが如何でしょうか」と言う。お安い御用である。犬鳴探偵事務所は東京の弁護士事務所が主要な顧客である。逆に依頼人を紹介することも良くあることで、犬鳴は二つ返事で引き受けた。この女性から報酬を得なくても一つの営業にはなる。犬鳴が若い調査員らに良く言う(損して得とれ)だ。犬鳴は、すぐに女性の前で刑事事件を得意とする弁護士に電話した。幸いにも弁護士は事務所に居て、(今ちょうど依頼人が帰ったところだから何時でもいいよ)と言ってくれる。(お金が無い)と言い張る女性に、(僕のことはいいけど弁護士はただっていう訳にはいかないよ)と言ってあったので、その辺は覚悟しているだろうと思いすぐにホテルを出て、新宿一丁目の弁護士事務所に向かった。女性は犬鳴に「とりあえず留置されている従業員に接見してもらいたい。」と言って、犬鳴さんから渡してください。と言って、100万円を預かった。

逮捕容疑は(風営法違反)である。間違っても実刑はないし、22日辛抱すれば罰金で釈放される。ただ、経験の無いものにとっては恐ろしい経験だろう。とにかくせっかちな女性で、今日にでも会ってきてくれ。と言う。弁護士もバブル崩壊後の暇な時である。じゃあ。と言うわけで、早速行動を起こしてくれた。まず、池袋警察に問い合わせ、留置されていることを確認。共犯と言うことで、もう一人は、大塚警察に居ることが分った。犬鳴は自分の車で一回りすることにしたが、どういうつもりか女性も「私も一緒に車に乗せてもらってもいいでしょうか」と言う。犬鳴は深く考えず(どうぞ)と言って、弁護士と女性を乗せてまず大塚警察に行き、次に、店長が留置されている池袋警察を回って、横浜に帰るという弁護士を新宿駅でおろし、オーナーはどうしますか?と聞くと、「帝国ホテルに行ってくださる?」と言う。新宿から日比谷までの20分足らずの間、女性はこんなことを言う。「犬鳴さん、今日はどうも有り難うございました。本当に助かりました。あのーこれは失礼かもしれませんが」と言って、古新聞にくるんだお金らしきものを差し出し、「領収書は要りません」と言う。女性を降ろした後、新聞紙を開いてみると1万円を10枚にしたものを、更に10に重ねて輪ゴムで束ねたものが5っ入っていた。----------