3月03日日曜日晴れ
昨日までは、朝起きて天気が良ければゴルフに行こう。と思っていたが、ちょっと飲みすぎて気が変わってしまった。それでも、タイちゃんは容赦なく定時に起こす。6時、朦朧としながら散歩に出る。1時間きっちりと歩き、大を4回した。11時、車で出て、まず床屋さんに行く。白髪染めをして2時間近くかかったが5~6歳は若返ったみたい。
事務所に行くと調査員が2名報告書を書いていた。若い調査員は奥方と0歳児の娘を同伴している。ちょっぴり羨ましい。まあ、僕もそんな時期が有ったのだけど。少し事務所にいて、伊勢丹に行き、グレープフルーツ、味噌、梅干、を買って帰らなくてはならない。これを破ると明日の朝食がない危険がある。-------
犬鳴探偵事務所 6
昭和61年2月、ビルの完成とともに犬鳴の事務所も体裁が整い、某日、関係者を呼んで事務所開きを催す。勿論、井口夫人も参加したが、夫人の(特別扱いしない)という希望通り、片隅にちょこんと座ってもらった。主賓は、顧問弁護士や、調査業協会の幹部、そのほか、柏原等の元同僚や仲間、それに、これまで犬鳴探偵事務所で修行し、独立している東京都内の探偵事務所の所長らが馳せ参じ、35坪の事務所は一杯になり、犬鳴は、(内装等をしていた時、随分広いなあ。と思っていたがさほどでもないな)と感じながら、余念なく挨拶して回った。
新事務所は、新宿二丁目10番の角にあり、地下鉄「新宿三丁目」駅から2~3分、伊勢丹からも5分の立地にあって、交通の便も悪くなかった。新築ビルの4階フロア、中に入ると美しい今曲線をもった受付カウンターがあり、事務の高子と、最近入った経理を兼任する女子事務員がにこやかに座っていた。パーテションの向こうが調査員らの部屋で、真新しい机が並びこれも新品の書類棚があって、全国の電話帳や、都内及び近県都市の住宅地図がびっしりと入っている。その向こうが、犬鳴の部屋になってて、オークル色の重厚な机と、高給家具を取り揃えていることで有名な小田急ハルクで購入したいかにも高そうな応接セットが、一人一社の所長らを仰天させた。
その前年、警察庁の発表で、全国の興信所や探偵事務所は、およそ500社といわれた。首都東京が120社余、しかしこの数字はにわかに信じがたいものといえた。実態はもっとある。とも云えるし、そんなに有るだろうか?とも云えた。というのも、大体探偵事務所はいわゆる一人一社が多い。東京ですらそうなのだから地方に行くとその傾向がさらに強く、例えば、クリーニング店の主人がかぶれて、探偵の二束の草鞋を履いている。などは良く見られる現象で、逆に、東京などは、一社がダミー会社を数社作って、広告合戦を展開している実情もあって、お役人が机上で調べた数字は実態に即していない。少なくとも犬鳴はそう思っていた。
移転に伴う事務所開きを催したことで、犬鳴探偵事務所の評価はいやがうえにも上昇し、協会内に於いては、(最大手)の事務所といわれるようになった。というのも、事務所を拡大する意志を固めた犬鳴は、同時に、調査員の募集も行い、この日は、調査員や事務など、総勢26人のスタッフが彼らを迎える結果となったからである。日本調査業協会の木村会長が全国の会合等で宣伝してくれたため、調査の関係で、遠く鹿児島の同業者に電話して(東京の犬鳴ですが)と言っただけですぐに通じたし、中にはわざわざ上京した折に挨拶に来てくれる人も居た。ちょうどその頃、アメリカの西海岸にあるロサンジェルス市警のOBで、かの地で探偵事務所を経営している人物と面識が出来、提携したほか、韓国の、これも元警察官上がりが営む調査会社とも相互調査を行う契約も成立した。
時はバブルの真っ最中、ひっきりなしに入ってくる調査依頼に多忙を極めていた犬鳴探偵事務所にこんな依頼が舞い込んだ。--------